慶尚北道(慶州市 )

慶州市(キョンジュシ)泉源(チョンウォン)村にあるワダムジョン(Wadamjung)は2017年5月完工した最新の韓屋宿泊施設です。 韓屋の伝統的な趣や雰囲気を余すところなく再現、ご宿泊の方々にご不便のないよう冷暖房施設、トイレを兼ねた浴室など最新の宿泊設備を備えました。 最大12名様までご宿泊可能な離れの韓屋は室内にキッチンもあり、大変便利な構造となっています。 3人部屋から6人部屋まで韓室全8室があり、共同で利用可能なキッチンがあり簡単な食事も料理することができます。 広々とした中庭のいたるところに韓国の伝統的な風景が垣間見れる小さなオブジェもあります。 チェギチャギ、投矢など韓国の伝統遊びもあり、ご宿泊の方であればどなたでもご体験頂けます。 瞻星台があある慶州歴史遺跡月城地区、国立慶州博物館など観光スポットにも近い位置にあります


慶尚北道(安東市 )

安東(アンドン)河回村・玉淵精舎(オギョンチョンサ)は西厓(ソエ)・柳成龍(リュ・ソンニョン)(1542~1607)が日ごろ親交のあった僧侶・誕弘(タンホン)の援助を受け建てたもので、学問を究め弟子を養成する所でした。 西厓・柳成龍先生は遠志精舎(ウォンジチョンサ)を建てた後、人々が住む村に近く騒々しく奥ゆかしい雰囲気が感じられないとして、川向こうの芙蓉台(プヨンデ)の麓の土地を手に入れ建物を建てようとしましたが、暮らし向きがよくなく精舎を建てることが出来ませんでした。 そのことを知った親交のある僧侶・誕弘が、建物の建築を引き受け資金面でも援助することを申し出、1576(宣祖9)年に着工し10年かけて西厓・柳成龍先生が45歳の時である1586(宣祖19)年にようやく完工しました。 先生はその後、芙蓉台(プヨンデ)の西側の麓にある兄(謙菴・柳雲龍先生)の亭子(東屋)である謙菴精舎(キョマムチョンサ)を芙蓉台の崖の縁に作った細いの道を歩いて行き来し、兄弟の情を深めたといいます。 そして1605(宣祖38)年、洛東江(ナクトンガン)の大洪水により河回にあった3間の広さの草葺の家屋を失いこの精舎に隠居、壬辰の乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)を回顧し懲毖録(国宝132号)を書き上げました。 玉淵精舎の洗心斎(セシムジェ)の建物は瞰録軒(カムロクホン)と名付けられた板の間を中心に左右に1部屋がある西厓・柳成龍先生が朝鮮時代に基礎教育を行っていた学校・書堂(ソダン)として使っていた建物です。書堂には周経の繋辞の中にある「意或従事於斯 以庶幾萬一爾(ここに心を置き、万に一つでも叶うことを望む)」という一文の意味が込められています。そして瞰録軒と名付けられた板の間は中国の書家・王義之の「頭をもたげ青い空を仰ぎ、下へは青い水を頭を垂れ眺める」という詩から付けられたものです。 遠楽斎(ウォルラクチェ)の建物は西厓・柳成龍先生がこの部屋に起居し懲毖録を書き上げた場所です。友人の来訪を待つという意味を持つ遠楽斎ですが、この名称は論語の中にある「朋有り遠方より来たる、また楽しからずや」という一文から付けられたものです。そして2間の広さの板の間・愛吾軒は陶淵明の「吾亦愛吾廬(吾もまた吾が庵を愛す) 」 という詩から名付けられたものです。


慶尚北道(慶州市 )

慶州(キョンジュ)崔氏(チェシ)の宗家で、新羅時代、瑤石宮(ヨソックン)があったと伝えられている場所にある、慶州崔浚先生生家(慶州崔富者宅)。 九代に渡り代々受け継がれる、1700年ごろに建てられたというこの家屋ですが、はっきりした建築時期は分かっていません。 建物には舎廊(サラン)チェ・母屋・大門(テムン)チェなどの各建物があり、その中でも大門チェの建物には小さな部屋や大きな物置となった部屋などがありました。 客人を迎えたり男主人が生活の場としていた舎廊チェの建物は中庭の向かい側にありましたが、離れの建物のとともに1970年11月火災により焼失、現在の建物のみが残りました。 舎廊チェのあった場所の後ろにある母屋は、中庭を囲むように建てられているように見える構造となっていますが、実際にはこの母屋は「コ」の字型となった建物で、「フ」の字型をした舎廊チェの建物や一文字型の中門(チュンムン)チェの建物が合わさり、中庭を囲む「口」の字型の建物のように見えるのです。 また、母屋の西北の方には家廟(カミョ)が設けられているほか、古宅前からまっすぐ南へまっすぐ伸びる幅員の広い通りは当時の栄華を偲ばせ印象的な道となっています。 このほか母屋の裏手に花畑があり、古宅の美しさに花を添えています。 古宅は朝鮮時代の支配階級・両班(ヤンバン)の家屋の原型を留めていることから、当時を知る重要な史料との評価を受けています。 文化財の指定がなされた当初は、慶州崔植(チェ・シク)氏家屋という名称でしたが、慶州崔氏一門が代々受け継ぎ暮らしてきた家でもあり、また慶州地域の名立たる富豪で「校洞崔富者チプ(家)」と広く知られていることから 「慶州校洞崔氏古宅」へと名称を変更(2007年1月29日)しました。 <出典:文化財庁国家文化遺産ポータル>


慶尚北道(清道郡 )

清道プロバンスの新しい光祭りは童話に登場する村を素材に、世界でひとつしかないピョルピッ童話村です。子ども達は魅力的な童話の世界を体験することができ、大人は幼い頃に接した懐かしい童話の世界を伝えます。


慶尚北道(慶山市)

30年以上放置されていた廃家を建築家キム・ギョンホ氏が韓屋体験空間へと生まれ変わらせた「美しい暮らしの空間(アルムダウンサムウィゴンガン)」。ここは、美しい暮らしのための空間を提供するという目的で設けられ、その目的にふさわしく展示・セミナー・公演・映画観覧など多様な芸術と文化を提供しています。 コケの生えた瓦が風情を感じさせる約100年の古家・霽月堂、リンゴ貯蔵倉庫が映画観覧空間に様変わりし団体客が泊まることのできる余楽堂、行廊棟(門口の棟)と牛小屋だった建物を読書空間にした議悦堂、少人数での宿泊に最適な東屋・虚心亭、音響設備を備え、公演を楽しむことのできる野外舞台があります。 すべての空間では常時、展示と公演が開かれ、どこでも本を読むことができ、音楽をきくことができ、物思いにふけることができる「美しい暮らしの空間」では、ひと味違った休暇を過ごせます。


慶尚北道(醴泉郡 )

「回龍浦(フェリョンポ)」は乃城川が醴泉郡龍宮面で太極模様のように流れ、砂浜ができたところで、その中に村が形成されています。乃城川および洛東江上流一帯に分布する嵌入曲流地形のうち、風景が特に美しく、名勝第16号にも指定されています。村の向こう側にある飛龍山の展望台「回龍台」にのぼると周辺の景観を一望できます。 撮影地 KBSドラマ『秋の童話』


慶尚北道(安東市 )

恥巌古宅(チアムコテク)は慶尚北道安東市(アンドンシ)安幕洞(アンマクドン)にある、朝鮮時代の儒学者・退渓(テゲ)李滉(イ・ファン)先生の11代子孫で、朝鮮時代末期の王・高宗(コジョン)の時代に彦陽県監や弘文館校理を務めた恥巌・李晩鉉(イ・マンヒョン)の古宅です。 元々、同じ安東市の陶山面(トサンミョン)遠村里(ウォンチョンリ)に建てられた建物でしたが、安東ダム建設による水没地域になったことから、1976年にこの地に移築しました。 恥巌古宅は本棟の建物が22間の規模の瓦屋根の韓屋で、5間の幅の高柱の大門や外棟があります。母屋より舎廊(サラン)チェが大きく、舎廊チェの建物の左右が切妻屋根と入母屋屋根の特異な形態となっており、韓屋の美しさを一層引き立ています。 恥巌古宅は慶尚北道民俗資料第11号に指定され、現在は古宅を体験できる宿泊施設として一般開放されています。 誠明斎(ソンミョンジェ)、敬業斎(キョンオプチェ)、楽聖堂(ナクソンダン)などの舎廊チェを利用できますが、大きな部屋がある外棟には台所もあり、テレビやエアコン、そしてトイレも完備しています。 誠の嘘のない心を持つという意味を名前がついた誠明斎(ソンミョンジェ)は典型的な韓屋の部屋で、舎廊房のオンドルの焚口に近い部屋で冬はたいへん暖かく快適にお泊りいただける部屋です。 また舎廊房の奥の方の部屋で、欲を捨て常に敬虔な姿勢を保つという意味の名称がついた敬業斎(キョンオプチェ)はお客様に人気の部屋です。 門間チェの日乾斎(イルガンジェ)や夕惕斎(ソクチョクチェ)、学求斎(ハックジェ)は 恥巌古宅の入口に一番近い、古宅の内と外を分ける境目の部分に建っている建物であることから、韓屋の周りの風景と古宅内部の美しさが同時に味わえる絶好の位置にあるお部屋です。 そして本棟東側にある潜龍塘(チャムニョンダン)はこの古宅にある小さな池の名前で、空を飛ぶ龍の如く、聖人君子となれるよう絶え間ない努力をしなければならないという意味が含まれています。 こじんまりとした庭園にさまざまな花や草花が美しく咲き、あたり一面緑の山々と古宅が素晴らしい調和をなしているところで、散策すると心も落ち着き、同時に歴史体験もでき大変素晴らしい宿泊場所となっています。


慶尚北道(慶州市 )

慶尚北道慶州市(キョンジュシ)瞻星台(チョムソンデ)そばの道にある小説斎(ソソルチェ)は伝統韓屋に最新施設を兼ね備えた宿泊施設です。板の間や瓦屋根など韓屋の趣が感じられる韓屋で、よく手入れされた中庭には古の時代からある井戸が当時そのままの状態であり、客人を静かにお迎えします。 全客室トイレを兼ねた浴室があり、冷暖房施設も完備、ご宿泊の方々にご不便のないよう配慮しています。 2名様から最大4名様までご宿泊可能な平屋の客室は全11室あり、広さも造りも少しずつ異なっています。 敷地入口の大門横にある離れの建物の客室には最大6名様までご宿泊が可能で、簡単な茶菓子を楽しむことができる空間もあります。入口には小説斎カフェが併設されています。 瞻星台や大陵苑、皇龍寺址など慶州の観光スポットにも近く、慶州駅や慶州高速バスターミナルへのアクセスもよい場所にあります。


慶尚北道(安東市 )

趣と風流があふれる草家 楽古斎 安東(アンドン)河回村を取り囲むかのように流れる洛東江(ナクトンガン)や川辺の砂地が美しい船着場の近くにある楽古斎の韓屋。楽しい「楽」、古(いにしえ)の「古」、家屋を意味する「斎」の字を当て、楽古斎(ラッコジェ)と読みます。文字通り「古の韓屋で楽しむ」という意味です。素朴な草葺屋根がより美しさを増す韓屋・楽古斎では自然を思う存分満喫できます。 一枚の山水画のような洛東江と草家4軒 青と赤の色が美しい釣り灯篭が掛けられた松林を抜け中庭に足を踏み入れると、草葺屋根の韓屋が4つ軒を連ねているのが見えます。その草葺屋根の韓屋に囲まれた庭の真ん中には優雅な曲線を描く松の木が1本立っています。草葺屋根の家屋・草家(チョガ)も瓦屋根の韓屋同様、韓屋のひとつですが、瓦屋根の韓屋より自然な感じを与え素朴な趣があります。しかしこのような自然と調和した趣をかもし出すには日ごろからの草屋の手入れや心遣いが必要です。草家の特性上、毎年新たに屋根の葺き替えが必要となりますが、現在栽培している稲穂では草葺屋根には使えないため、毎年、在来種の稲をこのためだけに栽培し、一株ずつ鎌で丁寧に刈り、草引き屋根を葺き替えています。 楽古斎は洛東江の畔にあります。河回村のにぎやかな通りからはすこしはなれているため、人でごった返すことはなく川辺の絶景も楽しめ大変すばらしい所です。少しだけ足を伸ばせば舟の渡し場があり、洛東江の川辺に沿って街路樹が立ち並ぶ丘の道を散策することもできます。洛東江の向こう岸には芙蓉台(プヨンデ)をはじめ高く聳える絶壁が雄大な景色を形づくっています。 ホテルに優る草葺きの韓屋 楽古斎は正面の母屋、その左右にある舎廊(サラン)チェと離れ、そして門間(ムンガン)チェの建物からなります。台所と板の間がある母屋には客室が2室あり、舎廊チェと離れには板の間と部屋がそれぞれ1室ずつあります。 ご宿泊のお客様にごゆっくりお過ごしいただけるように、多くても12名様までのお客様の予約しか取らないようにしています。全室とも最新かつ大変きれいな造りの浴室を兼ねたトイレを完備しています。特に檜張りの浴槽が全室にあり、檜の香り漂うお風呂をごゆっくりお楽しみいただけます。 部屋に入ると、韓紙で仕上げた作りつけの箪笥があり、かわいらしい作りとなっています。また、快適にお泊りいただけるよう天井埋め込み型エアコンも設置しています。このほか、門間チェの建物には黄土チムジルバンもあります。チムジルバンにはヨモギの香りが漂い、深呼吸をすると全身が爽快になる感じが実感できます。このチムジルバンはチムジルバンに慣れ親しんでいる韓国のお客様のみならず外国のお客様にも大変好評を得ています。 名に恥じないサービスの楽古斎、内でも外でも楽しさいっぱい 板の間にごろんと横になり陽差しや風に戯れる人、裸足で土の上を走る人、昔ながらのゴム靴を履いて散歩に出る人、どんと座ってマッコリを一杯傾けている人、この人々はここ楽古斎を満喫しているお客様です。都会からやってきた人々には心とカラダを癒す空間に、外国からのお客様には本物の韓国を感じられる空間になればという楽古斎オーナーの思いを込めて、隅々までその配慮が行き届いています。楽古斎のそばには天然記念物である万松亭(萬松亭=マンソンジョン)の松林があり、散策におすすめの場所です。また、船着場から舟に乗って洛東江を渡り、向こう岸にある芙蓉台(プヨンデ)の絶壁に上ると、数百年に及ぶ歳月を経てきた河回村の全景や村を囲むように流れる荘厳な洛東江の流れを一望できます。また、朝食には安東名物の素晴らしいホッチェサッパプ(虚祭祀飯)や焼き塩鯖(サバ)も味わえます。楽古斎では韓屋の中にいても、そして外に出て散策してもさまざまな楽しみがいっぱいの場所です。