京畿道(抱川市 )

大釜をひっくり返したような形から名付いた橋洞(キョドン)カマソ(釜沼)。 この橋洞カマソの地質・地形的特徴のひとつに、溶岩が固まる過程で溶岩内部からガスが抜けたときにできる気孔の跡があります。 橋洞カマソの玄武岩にはこのような跡が数多く見受けられます。 一つの溶岩の塊の中で、内部は塊状の溶岩、表面は溶岩ガスの気孔が至る所に残っているのを観察できます。この他、地形的観点から橋洞カマソを観察すると、玄武岩の浸食面から川の流れの方向を知ることもでき、過去、川がどの方向へ流れていたのが類推することができます。 <出典:漢灘江地質公園>


江原道(三陟市)

果てしなく広い海・東海が眼前に広がる港・草谷里(チョゴクリ)の町は韓国の往年のマラソン選手・黄永祚(ファン・ヨンジョ)が生まれ育った場所です。その町の丘の上に海原を一望できる場所に「黄永祚記念館」があります。 この記念館は1992年第25回スペイン・バルセロナオリンピック男子マラソンで優勝した黄永祚選手の生い立ちを紹介しその日の感動を讃え、若い世代の子供たちに勇気を与えるため作られた記念館です。


忠清南道(牙山市 )

李承晩初代韓国大統領退陣・亡命後、内閣責任制の下で1960年第4代大統領に就任した尹潽善(ユン・ボソン)大統領の生家です。 この家は尹潽善大統領の父親である尹致昭(ユン・チソ)が1907年に建てたものとされていますが、外側の居間のある建物はその造りから1920年代に建てられたものと思われます。


ソウル(恩平区)

津寛寺渓谷はソウル特別市恩平区(ウンピョング)津寛洞(チングァンドン)の北漢山城入口にあり、周囲の山林生態系と調和をなす渓谷で、サンショウウオ、ヤマアカガエルなどソウル特別市保護種の生物が見られる場所です。2011年、国立公園管理公団北漢山国立公園事務所は水環境及び水棲生態系保護の目的のため恩平区津寛洞にある津寛寺渓谷(約500m・3,500平方メートル)を北漢山国立公園特別保護区に指定しました。</p>


江原道(三陟市)

桃京里駅は日帝強占期に建設された典型的な小さな駅です。 駅舎は鉄道の線路と並行に建てられその上に屋根が取り付けられていますが、駅前広場のある駅舎入口正面側から見ると駅舎の右寄りの場所に桃京里駅の出入口がありその上部に建物と直交する形で切妻屋根が取り付けられています。 駅舎の屋根と出入口の上の直交した切妻屋根はほぼ同じ高さに取り付けられています。駅舎出入口の右外側には雨よけのひさしが取り付けられ、駅舎を囲むように線路側の方へひさしが乗降客用に延び、その端にプラットホームで列車を乗降する人が出入りする待合室出入口の両開きのガラス戸が設置されています。 外壁は現在はモルタル造であることが確認できますが、竣工当時、元々モルタルであったのかどうかは不明です。 また駅舎の屋根に使用されている屋根瓦は日本様式のものそのものです。 駅舎の線路側の方もさまざまな特徴があります。 駅前広場側の入口同様、線路側の方にも駅舎のメインの屋根と直交する形で切妻屋根が作られている部分があり、その部分は駅舎の建物から線路側に少し張り出す形で作られ駅を行き交う列車がよく見えるよう駅務室が設置されています。また雨よけのひさしは駅舎右側からぐるっと線路側のこの駅務室の横まで続いています。 この駅の特徴的なのは、建物のメインの屋根と直交する広場側の入口上の切妻屋根が建物右側に、同じように建物のメインの屋根と直交する線路側に突出した駅務室がある上部の切妻屋根が建物やや左側にあるというように、切妻屋根がメインの建物に対して十字の形で直交して作られる他の駅とは違う構造となっている点です。 ※竣工年度 1939年5月15日


慶尚南道(統営市 )

統営(トンヨン)の夜は格別です。 華やかでありながら、温かな雰囲気を醸し出すライトアップが夜の統営運河を彩ります。 夜景ツアーのハイライト・統営大橋は、鮮やかなライトアップの光に包まれ、昼間よりも一層眩しく輝いています。 夜が美しい都市、統営、そして夜の海。 その統営を海上観光タクシーの乗ってゆったりと遊覧。浪漫あふれる統営で夜景の美しいナイトクルーズをご満喫ください。


仁川(甕津郡)

豆粒ほどの砂利が海辺を覆っていることから、韓国語で豆をコン、石をトルということから、豆のような石が覆いつくす海岸いうことで、コンドル海岸と呼ばれています。このコンドル海岸は天然記念物第392号に指定され、保護されている海辺です。 海岸の総延長は800m、水辺からの幅は30mほどで、豆粒のような砂利はここ白翎島(ペンニョンド)の地質の大半を占める珪岩が割れ波に洗われることにより、石が擦れてこのような玉砂利が広がる海岸になりました。 透き通ったきれいな海水が海辺に打ち寄せる波の音を聞きながら、皮膚炎にも効能があるという天日で熱くなった砂利の上で横になる砂利チムジルも体験できます。 海岸は波打ち際あたりの傾斜が急なため、突然深くなるところもあるため注意が必要です。また潮が引いた干潮の時間帯になると海岸の先の絶壁にある深くえぐれた場所が姿を現します。


全羅南道(麗水市 )

北韓半潜水艇展示館は1998年12月17日夜、韓半島の南端・麗水市(ヨスシ)突山邑(トルサンウプ)荏浦(イムポ)地域沖に侵入し韓国軍との交戦の末、沈没した北韓半潜水艇を引揚げ、公開展示した施設です。 * 発見から展示まで 98年12月17日 : 23時15分頃、突山邑荏浦地域海上で発見 98年12月18日 : 06時50分、巨済南方100km地点で撃沈 99年3月17日 : 韓国海軍海難救助隊、船体引揚げ 99年4月21日 : 半潜水艇、麗水市に展示申し入れ 99年11月22日 : 北韓半潜水艇及び虜獲物資貸与契約締結(麗水市-国防部) 01年11月24日 : 北韓半潜水艇展示館建設敷地無償使用協約締結(麗水市) 01年12月31日 ~ 02年8月29日 展示館着工及び竣工


慶尚北道(義城郡 )

* 召文国の墳墓群と推定される義城金城山古墳群 * 金城山(クムソンサン)古墳群は慶尚北道(キョンサンプクド)義城郡(ウィソングン)金城面(クムソンミョン)大里里(テリリ)、塔里里(タムニリ)、鶴尾里(ハンミリ)一帯にあるおよそ200基あまりの墳墓群のことで、この古墳群から出土した遺物は5世紀から6世紀 のものと推定されています。 直径は15mから19m、高さは2mから4mほどの中型墳、直径10m未満の小型墳が数多く密集しており、円形封土墳が大部分を占めます。 1960年に国立中央博物館、1965年に慶煕大学校博物館が発掘・調査を行いました。調査の結果、盛土の形は封口を中心に水平短縮状態になっていることがわかりました。封口を作る際に使われた土は純粋な粘土で、その量もまた大変多かったことがわかりました。しかし使われた土の大部分がこの地域で産出される土や色とは異なり、他地域から運び込まれた来たものと推定されます。このことから古墳を造るために大変多くの労働力を費やしたものと見られ、政治的に影響力のある統治者によってこの古墳が造られたものであることが分かります。 * 金城山古墳群と三韓・召文国 * 金城山古墳群は三韓時代の部族国家・召文国(チョムングク)のものであると見られています。召文国は三韓時代の部族国家であった小国で、現在の慶尚北道義城郡金城面一帯に都を置いていましたが、185(新羅・伐休王2)年、新羅に併合されたと伝えられています。 しかし、召文国が実在したという記録は三国史記に短く言及されているのみで、文献資料はほとんど残っていません。金城山古墳は召文国の都とみられている場所にあり、義城地方の当時の勢力や社会構造、義城地域と新羅との関係を理解する上で重要な史料となっています。 [文化財情報] 指定種目 : 市・道記念物 指定番号 : 慶尚北道記念物第128号 指定年度:1998年4月13日 時代:三国時代 種類:古墳群 規模:面積 296,825平方メートル、直径 10∼19m、高さ 2~4m


全羅南道(麗水市 )

麗水(ヨス)旧港海洋公園は、2001年から麗水港湾庁が麗水旧港の海岸を整備し、市民の憩いの場として造成した公園です。 将軍島(チャングンド)や突山(トルサン)大橋、南海島(ナメド)や小さな島々が大変よく見え、すぐそばにはハメル灯台もあるほか、園内には大型公演場、釣り場、憩いの場などもあります。  熱帯地域を思わせるワシントンヤシや照明の灯りが園内を素晴らしい風景に作り上げ、また夜になるときらびやかにライトアップされた突山大橋の夜景が公園から美しく見え、数多くの人々が訪れる海洋公園となっています。 麗水旧港海洋公園の防波堤の突端には、朝鮮事情をヨーロッパに最初に紹介したオランダ人の船乗り・ハメルを称え建てたハメル灯台という観光スポットがあります。 ハメルは1653年、済州島(チェジュド)に漂流し、その後1663年7月麗水の全羅左水営に送られ雑役に従事し抑留生活を送りましたが、1666年になりようやく日本へ脱出しました。 現在のハメル灯台の位置が、まさにハメルが朝鮮を発った場所にほかなりません。 2005年3月、国際ロータリークラブ創立100周年を記念し、麗水地域のロータリークラブ関係者によりこのハメル灯台が建てられました。