仁川(江華郡) , 江華島

喬桐島(キョドンド)は江華郡の北西側に位置する島で、2014年7月に喬桐大橋が開通し、便利に行き来できるようになりました。高句麗時代には高木根県と呼ばれていたところで、新羅時代の景徳王のときに喬桐に改称されました。高麗時代には碧瀾渡(黄海道の礼成江下流にあった高麗時代の国際貿易港)に行く中国の使臣が滞在し、国際交易の経由地となっていたところです。


全羅南道(麗水市 )

巨文島は昔は三島、三山島などと呼ばれていましたが、イギリスによる巨文島占領に抗議するため中国の清国の提督である丁汝昌が巨文島を訪れたときに、この島に学問に優れた人が多かったのを見て、文章家が多いという意味で「巨文」と改称しようと提案したことから、その名がついたといいます。 巨文島灯台は南海岸で最初の灯台として1905年4月12日に建てられてから100年の間、南海岸の海路を開いてきました。巨文島灯台は高さ6.4mの円型白色で鉛、石、コンクリートの混合構造物です。灯明は3灯大型でガラスを加工したプリズムレンズを使用しており、水煙筒に灯明を送って中枢に転換させて15秒間隔で光を出し、約42km先でも見ることができるように設置しました。老化した施設の変わりに33mの高さの新しい灯台が新築され、2006年1月から船舶の道しるべとしての役割をしています。100年の間、使用されてきた既存の灯台は灯台の外壁と中枢式回転装置などを補修して海洋遺物として保存されています。 巨文島は島一帯が多島海海上国立公園に属していて、毎年多くの観光客が訪れていて、その中でも巨文島灯台は巨文島を訪れる観光客の必須コースとなっています。旅客船の船着場がある巨文里から灯台までは約1時間かかるが、サムホ橋を経て儒林海水浴場を過ぎると、水が交わる「ムノミ」を過ぎます。ここからは海の奇岩絶壁沿いに1.2kmの散歩道があり、脇には椿の木生えていて、その道を抜けると、灯台にたどり着くことができます。


全羅南道(康津郡 )

全羅南道康津郡城田面の月出山にある無為寺は10世紀以前は無為甲寺というお寺として建立され、最低でも1,100年もの歴史を持っている古寺です。無為寺には国宝第13号である極楽宝殿をはじめ、国宝第313号の阿弥陀如来る尊壁書、宝物1314号の白衣観音図、1315号の内壁四面壁書、宝物507号の無為爲寺先覚大師塔碑があります。


光州広域市(北区)

* 都心の中の自然学習地、光州湖生態園 * 光州湖の近郊185,124平方メートルの敷地に自然観察園、自然学習場、芝生休憩広場などテーマ別に造られた生態公園です。光州市内から約30分程度にところにあり、市民の憩いの場として2006年3月に開園後、多くの人たちが利用しています。 * 光州湖で見ることのできる自然 * 全体的に静かで涼しい雰囲気の公園で、寒い日でなければ花や動植物の生態資料を実際に見ることができます。ツツジやレンギョウ、バラやあじさいなどの様々な野生花約17万本を見ることができます。


全羅北道(金堤市 )

碧骨堤農耕文化博物館は、機械化や産業化されていく現代化の中に消えていきつつある伝統農耕具を始めとして、生活のしるしを記録するために設立されました。ここでは碧骨堤を誕生させた農耕文化を一目で見ることができ、韓半島(朝鮮半島)最古の穀倉地帯である金堤地域の歴史と文化を見ることができます。1つの企画展示室と3つの常設展示室で構成されていて、農耕および民俗遺物が約1,000点を保有しています。第1展示室は、農耕の起源や歴史を展示しています。第2展示室は農耕の物的な土台から歳時風俗や日常の生活、そして素朴な民間信仰を知ることができ、第3展示室では碧骨堤発掘の現状と碧骨堤の伝説などを模型で構成してあり、古代に水を管理していた遺跡である碧骨堤についてより理解を深められるように構成されています。


慶尚南道(陜川郡 )

伽倻山国立公園入り口から海印寺に至る4kmの渓谷を紅流洞渓谷(ホンリュドン・ケゴク)と言いますが、これは紅葉があまりに赤くて渓谷の水が赤く見えるということからつけられた名前です。この渓谷には唐の国から帰国し新羅(BC57‐AD935)のために尽力したにもかかわらず乱れた国政を嘆きここで遁世しながら余生をおくった孤雲・崔致遠(857~?)先生の住んでいた所でもあります。 この渓谷には重要文化財資料である籠山亭や落花潭、噴玉瀑など19の名所があります。特に先生が読書や囲碁を楽しんだという東屋の籠山亭や向かい側には崔致遠先生の親筆を見ることのできる岩、また渓谷の北側にある龍門瀑布は高さ7mの水柱が奇岩怪石と調和し絶景を成し見所となっています。 春には満開のつつじ、夏には千年老松とともに闊葉樹が生い茂り、秋には周りの松林だけでなく闊葉樹ももみじと調和し、赤い紅葉の葉をより鮮明にし、紅葉を映す渓谷の水がまるで赤く燃え上がるように見え、改めて紅流洞渓谷の名前を実感するでしょう。


江原道(麟蹄郡)

松江カヌー学校は、内麟川(ネリンチョン)にあるカヌー・カヤック教育専門学校で、文化体育観光部長官公認の国家資格を持つコーチ陣による、カヤッキングやラフティング教育・ツアーが行われています。また、海外メーカーのパドリング用品の直輸入販売も行われています。


忠清南道(唐津市)

挿橋湖の艦上公園に、海軍・海兵の歴史や文化が体験できる珍しい空間が造成されました。ここには退役艦艇が2隻停泊しています。1隻は揚陸艦で、海軍と海兵隊に関連する展示施設で構成されており、もう1隻の駆逐艦では作戦室、レーダー室、艦長室などの軍艦施設物が体験できるようになっています。 《揚陸艦》 約100m、全幅15mで、主に上陸作戦と輸送任務を遂行する艦艇です。艦船乗組員約120人、水陸両用戦車15台、トラック15台、海兵隊作戦兵力を500人以上搭載することができ、現在は揚陸艦内部をテーマ別展示館として施設をリニューアルし、海軍や海兵隊の成長や発展過程、艦艇と艦砲の世界、延坪海戦、海兵隊上陸作戦と活躍像などを、立体ジオラマや特殊部隊要員の蝋人形、映像説明などを通して知ることができます。 《駆逐艦》 約120m、全幅12.5mで、対空、対艦戦闘能力を持っており、艦砲、ミサイル、魚雷、爆雷、機関砲などで重武装され、対潜水艦作戦能力が特に優秀な艦艇です。艦艇内部の作戦室、レーダー室、艦長室など、軍艦施設物が体験できるようになっています。


全羅南道(順天市 )

楽安邑城の近隣に位置する順天市立プリキップンナム博物館は故韓彰琪(1936~1997)が生前に集めた遺品を展示しています。青銅器時代から光復以降までの多様な遺品が展示され「純粋な韓国」文化をよく理解することが出来る博物館です。 故韓彰琪は生前に韓国の古くなった物と粗雑な物から文化を創造しようとしました。何の値打ちもなくぞんざいに扱われていた物が現在では文化的価値がある遺産になり、祖先の暮らしをうかがえる資料として再誕生しました。


京畿道(楊州市) , 坡州(ヘイリ村)

紺岳山は古くから岩の間から黒い光と青い光が同時にあふれ出ると言い伝えられ紺色岩山と呼ばれるようになりました。紺岳山はソウルと開城の中間地点に位置し、晴れた日には開城の松岳山とソウルの北漢山、東豆川の逍遥山が見えます。頂上には郷土遺跡8号に指定された三国時代の古碑が立っています。碑石の字は摩滅していますが、形が北漢山の真興王巡狩碑と似ていることから真興王巡狩の碑、または唐の国の薛仁貴がここの出身であることから薛仁貴の碑ではないかといわれています。またここは韓国戦争(朝鮮戦争)時代の激しい激戦地として、雪馬渓谷入口に英国軍参戦記念碑が立っているほど戦争の深い傷跡を残すところで、1980年代初めまで入山が禁止されていました。