慶尚南道(統営市 )

統営忠烈祠は李舜臣将軍の祠宇です。1973年6月11日に史跡第236号に指定されました。1606年に王命を受けて李雲龍が建立し、1663年に賜額になりました。正祖御製記板と明の国から李舜臣に下した8種類の下賜品が保管されており、正門の外には墮涙碑が建てられています。


慶尚北道(慶州市 )


江原道(寧越郡) , 平昌

東江(トンガン)は江原道一帯を流れる南漢江のひとつの支流で、旌善から寧越まで流れる約60kmの区間を指します。ここは現在も汚染されていない自然が残っていますが、これは水の流れが速く、周辺の山並みが険しいため人の立ち入りが困難だったため。今でも蛇行するように流れる東江沿いには絶壁があり、カワウソやオシドリ、ほととぎすを始めとする見る機会の少ない動植物を見るため多くの観光客が訪れています。また代表的な名所としては朝鮮6代王の端宗が幽閉され17年の歳月を過ごした青嶺浦やラフティングのコースとして人気の魚羅淵渓谷などがあります。


仁川(江華郡) , 江華島

江華島南方の華道面長花里から東幕里に続く海岸道路からの日没が最高であると言われています。道路沿いや近隣の飲食店の駐車場に車を停めて日没を鑑賞でき、 分五里墩台からも見ることができます。席毛島からはミンモル海岸やチャングノモ浦口が日没鑑賞スポットです。弓のように曲がった海岸は潮が引くと干潟が姿を現し、貝や蟹などの様々な生き物などを捕まえる干潟体験も楽しめます。2002年江華島の南部と金浦をつなぐ草芝大橋 が開通したことから海水浴場や干潟に遊びに来る人が増えるようになりました。


京畿道(議政府市) , 議政府

議政府芸術の殿堂(ウィジョンブ・イェスレチョンダン)は、大劇場、小劇場、国際会議場、展示場を備えた複合文化空間です。


全羅南道(麗水市 )

麗水市三日洞と上岩洞にまたがり位置した霊鷲山は、海抜510mとあまり高くない山です。山の姿が秀麗であるわけでもなく、山が高いわけでもない霊鷲山が全国的に有名な理由は、春になると山全体を赤く染めるチンダルレ(ツツジ)を韓国国内で一番最初に見ることができる山だからです。慶尚南道昌寧の火旺山、慶尚南道馬山の舞鶴山と共に全国三大ツツジ群落地のうちの1つに数えられています。30~40年間咲き続ける数万本のツツジが33万㎡にわたり群落をなしており、毎年4月になると山全体を赤く染めます。 霊鷲山の登山は山が低いだけあり、どのコースを行っても4時間程度で家族皆で登山を楽しむことが可能です。ツツジを最も楽しむことができるコースは、湖南精油の上の林道や上岩小学校を基点にし、450m峰を登り霊鷲山の頂上に上がりポンウ峠を下った後、チンレ峰をまた登ります。チンレ峰からヘリコプター場、439m峰を過ぎたところにある分かれ道を右へ入って行き、興国寺へと下山するコースです。450m峰から頂上までがツツジが最も見ごたえのある道ですが、険しくもあるため暗い時にここを通るのは危険ですので登山時間を調節する必要があります。 霊鷲山では毎年4月になるとツツジ祭りが開催されます。祭りの期間中、霊鷲山山神祭、青少年白日場、写真撮影大会、チンダルレアガシ(ミス ツツジ)選抜大会、郷土料理など多彩なイベントが催されます。 霊鷲山という名前は、釈迦が最後に説法をしたインドの霊鷲山からその名をとったと推測されます。霊鷲山の登山地図を見ると、霊鷲山と進礼山に区分されて書かれている場合もありますが、国家地理情報院は2003年5月17日付けで山の名称を「霊鷲山」から「進礼山」に変更告示しましたが、人々は今も慣例的に439m峰の名前である霊鷲山を山の名前として使用しています。 麗水半島の主山である霊鷲山は、昔より地域の人々に神霊な山として認識され、祈雨祭や神仏に真心を捧げてきた場所です。伝統祈願道場であった錦城台があり、その下の道場である兜率庵が建てられ今日まで残されています。東国輿地勝覧と湖南麗水邑誌には兜率庵と共に祈雨壇があり霊験あらたかであると記録されており、地方の首領らが祈雨祭を行ない祈雨詩を残すという伝統が大韓帝国末まで引き継がれていたとされています。また、霊鷲山には興国寺があり、寺の名前からも分かるとおり国の隆盛を祈願するために建てられた寺院で、1195年に普照国師が創建しました。興国寺の中には大雄殿(宝物第369号)をはじめとし、宝物第578号の大雄殿後佛幀画、円通殿、捌相殿などの文化財が残されています。また興国寺は壬辰倭乱当時、唯一僧兵水軍がおり興国寺内には約300人の僧兵水軍が訓練をしていたということでも有名です。 海抜510mの山の頂上に立つと南海に浮かぶ大小の島々と漁船が一望でき、光陽湾と麗川公団、東北側には光陽の白雲山、猫島が見えます。


全羅南道(麗水市 )

巨文島(コムンド)は古島、東島、西島の3つの島からなっていて、かつては三島とも呼ばれました。西島の秀月山のふもとに広がる海の中に長さ30メートルほどの男根の形をした岩があって、その岩の力で優れた儒学者が誕生したと伝えられ、そこからこの岩を「文筆岩」と呼ぶようになったとされています。また清(中国)の提督の丁汝昌がこの島に立ち寄った際、金劉(キム・ユ)という儒学者と筆談をしたのですが、金劉の文章力に驚嘆したところから巨文島という名前がついたと伝わっています。 見どころとしては、樹齢数百年の秀月山の椿林、南海側随一の絶景である白島(ペクト)等の美しい観光地と、英国軍墓地、儒学者の金劉をたたえる巨文祠、金洋禄(キム・ヤンロク)をたたえる西島祠などの歴史遺跡があります。その他、秀月山南麓には韓国初(1905年4月完成)の灯台であり、東洋最大の巨文島灯台があります。 周辺の海域は魚の群れが見えるほど透明で、特に漁の最盛期には各地から漁船が集まり不夜城のようになります。またこのあたりの島々は釣り場として知られていて夏には海水浴と釣りを一度に楽しもうと島外からたくさんの人が訪れます。


済州道(西帰浦市)

松岳山は火山とは違い南済州郡、山房窟寺で松岳山入り口までは風致良いことで噂になった海岸道路だ。 その道を走って松岳山(ソンアクサン)に達する。松岳山は漢拏山のように雄壮だったり山房山のように景色がずば抜けて美しいと言うわけではありませんが、間近に見える韓国最南端の馬羅島と加波島、兄弟島、高くそびえ立った山房山、遠く見える漢拏山、そして限りなく広がる太平洋とそこを吹く気持ちの良い海風に誰でもその景色にため息をを付くといわれています。松岳山は大小の峰が集まって形成され主峰の高さは海抜104メートルで、この主峰を中心にして西北側は草原地帯が広がります。主峰には周囲500メートル、深さ80メートル程の噴火口があり、中にはまだ赤黒い火山灰が残っています。そして海辺海岸絶壁には日帝強占期、日本軍が突き空けた洞窟がいくつか残り当時の辛い歴史を物語っています。松岳山の下海岸は黒鯛やアラがたくさん捕まえられる釣り場としても有名です。


忠清北道(報恩郡 )

俗離山マルティジェは、忠清北道報恩地域から俗離山方向約8km地点に位置している俗離山の関門で、くねくねと12カーブからなる険しい峠道です。昔、朝鮮(1392~1910)世祖王が俗離山に 登った際、傾斜があまりに急で馬に乗って峠を越えたことから「マル(馬)ティ(乗る)コゲ(峠)」と呼ばれるようになったと言います。このようなエリアにある俗離山マルティジェ自然休養林は、チャンジェ貯水池と休養森が調和を成す美しい景色が有名です。主要施設としては、散策路及び登山路、水遊び場、炊事場などが揃っており、宿泊施設としては、「林の中の家」(16棟)があります。「林の中の家」は、ホームページを通じて予約することができます。ホームページ http://www.huyang.go.kr(韓国語) 4人–繁忙期(7.1~8.31)及び週末55,000ウォン / 閑散期 32,000ウォン7人 繁忙期 (7.1~8.31)及び週末 85,000ウォン / 閑散期 50,000ウォン11人 – 繁忙期 (7.1~8.31) 及び週末 110,000ウォン / 閑散期 70,000ウォン14人 – 繁忙期 (7.1~8.31)及び週末 150,000ウォン / 閑散期 90,000ウォン