慶尚南道(統営市 )

「トンピラン」とは「東側の崖」を意味します。プルン統営21推進協議会は2007年10月にトンピラン通りの塀や壁に絵を描いてくれるボランティアを募集しました。集まった人たちがトンピラン村の塀や壁全体に絵を描き、海沿いの町がアートによって注目を浴びるようになりました。トンピラン村には細い路地がたくさんありますが、その路地全ての塀や壁に絵が描かれていて街全体が童話の町へと生まれ変わりました。また、村から下りてくる時に見える江口岸と海の風景も見どころの1つです。


江原道(三陟市)

江原道の大耳里洞窟地帯にある幻仙窟(ファンソングル)は、韓国最大規模の石灰岩洞窟です。総延長およそ6.5km、内部には多様な石筍と鍾乳石、10数個の大小さまざまな池と6つの滝があります。とりわけ夢の宮殿、兎の杵、万里の長城、美女像など神秘的な鍾乳石と、断崖に掛けられた橋である地獄橋は幻想的。内部の気温は夏は12-14度、冬は8-9度ぐらいに保たれており、美しい鍾乳石の形は洞窟の生成と成長の過程を見せてくれます。チケット売り場から入り口までは30-40分ほど歩き、内部を見て廻るのには1時間以上かかります。海抜820mの山の中腹にあり、チケット売り場から入り口までは坂道となっているためお年寄りや幼児には多少困難かもしれません。


全羅南道(新安郡 )

山勢が高く、絶壁で形成された雄大壮厳な絶景を誇る「可居島(カゴド)」は、中国で夜明けに鳴く鶏の声が聞こえるほど中国に近いといわれる韓国最西南端の島です。 犢実山(639メートル)を中心に西南に広がる可居島は神秘的な雰囲気がただようところで、「住むに値する島(充分に暮らせる島)」ということから可居島という名前が付いたと言います。 カタクチイワシ、イシモチ、タチウオ、マグロなど、あらゆる魚が集まり、年中多くの釣り客が訪れる他、ウミツバメ、オオミズナギドリ、コガモといった渡り鳥の楽園でもあります。


全羅南道(木浦市 )

カッパウィは、まるで2人の僧がカッ(笠)を被っているように見えることからカッパウィ(笠岩)と呼ばれています。 カッパウィには複数の伝説がありますが、まず1つ目の説は、悟りの境地に至った僧が栄山江を渡り羅仏島にあるタッ島へ行こうとする途中、休憩した所に被っていた笠と持っていた杖を置いたものが岩となったとする説があります。また、月出山で修行をしていた僧が弟子の僧を連れて木浦に必要な物を調達しに栄山江を渡ろうとしたところ、弟子の僧がはぐれてしまい川を渡りきれず石となって固まってしまったという伝説があります。 また別の説には、木浦で病を患った父親の面倒を見ていた若者が、父親の薬代を稼ぐために家を出たところ、その間に父親が死んでしまい、その若者は自分の親不孝さを謝罪するために食事も取らず笠を被り謝罪し続けていたところ、石になってしまったという説もあります。


慶尚北道(鬱陵郡)

独島博物館(トクト・パンムルグァン)は1995年に光復50周年を記念して、鬱陵島郡が提供した土地にサムソン文化財団が建物を建築しました。そして李鍾学初代館長が30年余りの間、国内外から収集、寄贈された資料を基に故・洪淳七隊長の遺品及び、独島義勇守備隊の同士会と青い独島を手入れする集まりなどの資料を添えて、1997年8月8日に国内唯一の領土博物館として開館されました。三峯島をモチーフにした博物館の建物は敷地8,068㎡(2,441坪)、延べ面積1,600㎡(484坪)の地下1階と地上2階建てです。1階の3つの展示室(第1、2常設展示室、企画展示室)中央ホール、2階の展示室(第3常設展示室)自然生態映像室・独島展望ロビーなどにより構成されています。1998年8月8日「博物館開館1周年及び李舜臣将軍殉国400周年」を記念して序幕された「独島博物館標石」を始めとして、野外独島博物院が作られ拡張され続けています。独島は西暦512年년(新羅・智證王13)以来、鬱陵島と共に于山国の領土として韓国の歴史と文化圏に編入された以降、現在まで韓国の固有領土です。過去において、独島は海の中の1つの小さな離島で、それほどの関心を向けられてはいませんでした。しかし、海洋依存度が段々と大きくなるにつれ、今日では政治・経済・軍事・学術など多方面からとても重要視されています。そのため、現在日本とその領有権において、民族の自尊心をかけた激しい葛藤が繰り広げられています。独島博物館は、独島および朝鮮海(東海)を囲んだ関連資料を発掘・収集・研究し、その結果を元に展示・管理・教育・広報することにより、日本の独島領有権主張を反論する資料と理論の土台を構築して、国民の領土意識と民俗意識を鼓舞させることが建立の目的であります。


慶尚南道(固城郡 )

方魚津から北に1kmのところに、長さ600m、幅40~60m、面積26,000㎡の日山海水浴場(イルサンヘスヨッチャン)があります。良質の砂浜が広がり、毎年7~8月の水温が21.2度、水深1~2mという海水浴を楽しむのにぴったりな条件が揃う日山海水浴場では、毎年7月の末に海岸祭りも開催されます。 海水浴場の周辺には、大王岩公園や現代重工業があります。 また、近くにある花岩湫航路標識管理所は、韓国にある灯台展望台の中でも最も高く、灯台展示館や展望台があり、展望台からは蔚山港を見渡すことができます。


慶尚南道(昌原市 )

昌原市の全景を見渡すことのできる騶山洞の丘にある文信美術館は、文信(ムン・シン)の作品と芸術魂がそのまま残っている場所です。パリで活動した文信は1980年、幼少期を過ごした馬山に帰国し、15年の歳月をかけ、自ら美術館を建て、1994年にオープンさせました。美術館オープンの1年後に他界しましたが、生前の「愛する故郷に美術館を捧げたい」と言う本人の願いを受けて2003年、文信美術館は市に寄贈され、現在は市立美術館として運営されています。 また、昌原市では、文信のまた違った作品世界を見せるため、2010年10月に文信原型美術館をオープンしました。ここでは、116点の石膏原型を所蔵・展示しています。美術館は第1展示館、第2展示館、野外彫刻展示場、文信原型美術館で構成されており、彫刻、石膏原型、油絵、水彩画、デッサン、工具、遺品など、3,900点ほどの作品・資料を所蔵しています。


仁川(甕津郡)

「大青島(デチョンド/テチョンド)」は、仁川から北西へ約202キロメートル、壅津半島から南西へ約40キロメートルにあります。ほとんどの住民が漁業に携わり、一部は稲作と畑作を兼業する典型的な漁村地域として、80年代末まではガンギエイ漁が盛んだった場所です。現在もさまざまな種類の魚や海産物がとれ、島全体が釣り場としても有名です。


忠清北道(提川市 )

義林池は韓国の代表的な水利施設の1つで、いつ出来たのかは不明ですが三国時代からあったと言われています。新羅真興王の時代に楽聖于勒が小川の水を防ぐため堤防を築いたと言われるが、それから700年後にこの土地を訪れた朴義林(パク・ウィリム)が新しく築いたとも言われています。朝鮮時代に鄭麟趾(チョン・インジ)が体察使としてこの地に来て1500人を動員して工事を行ったという記録が残っています。堤林は義林池の堤防の上に造成された松と柳の林です。樹齢が数百年の松や柳、モミ、イチョウ、桜の木などがあり美しい景観を演出しています。現在は堤川地方の景勝地であり、湖の周辺には1807年に建てられた暎湖亭と、1948年に建てられた鏡湖楼、そして樹齢数百年の松としだれ柳や30mの滝などがあり趣が感じられます。特に特産物として、産卵時期にはワカサギを味わうことができ、観光客に人気があります。


京畿道(広州郡)

*山に囲まれた咽かな場所で堪能する伝統料理。南漢山城伝統料理村*三国時代から韓国の主要軍事要地として活躍してきた南漢山城は、朝鮮第14代国王の宣祖から第23代国王の純祖に至まで、国防の砦としての役割を果たしてきました。第16代国王の仁祖時代に完成し、300年以上の歴史を持つ文化遺産として高く評価されています。ここには伝統韓屋の建物が並び、白米やトトリムク(ドングリのところてん)、地鶏水炊きなどの伝統料理を味わうことができます。 南韓山城について京畿道広州市中部面山城里南漢山にある朝鮮時代の山城で、1963年1月21日、史跡第57号に指定されました。北漢山城と共にソウルを南北から防御する山城の1つで、新羅文武王の際に建てられた晝長城跡が活用され、1624年(仁祖2年)に建築されました。