慶尚北道(慶州市 )


江原道(春川市) , 春川

1967年11月に北漢江と昭陽江の合流地点をせき止めてつくられたダムで、昭陽湖と破虜湖から流れ込む水を均一に漢江に送り出すためにつくられました。よって、昭陽湖と破虜湖の配水により水位変動が激しいのが特徴です。また、衣岩湖は他のダムとは異なり平地形をなしており、水草も豊富なため、フナ釣りなどに最適です。初春から晩秋まではフナが釣れ、冬はワカサギの氷釣りなどが楽しめます。また、湖の中にはプンオ島と中島の2つの大きな島があり、春川市とも隣接しており交通の便が良く、周辺の自然景観も優れています。


江原道(旌善郡)

「江原(カンウォン)ランドカジノ」は、廃鉱地域を国際水準の総合リゾート団地として開発する計画の下、2000年10月28日に韓国人と外国人の利用が可能なカジノとホテルが備わったリゾート施設としてオープンしました。レジャーに対する欲求が多様化している現在、カジノゲームは世界各国の先進リゾート産業としての地位を確立しています。この流れに合わせ、さらに観光産業の重要性を強調した家族型総合リゾートとして、健全なカジノゲーム文化の定着と観光産業のさらなる成長のために2003年3月28日、施設規模477室の特1級ホテルを備えたホテルカジノとして全面リニューアルをしました。


光州広域市(光山区)

1948年11月16日に光州の鶴洞に光州飛行場が開港し、翌年の1949年2月10日に民間航空機(DC-3)が初めて就航、1964年1月10日に現在の位置に移転しました。本格的な旅客輸送のため、ターミナルビル、誘導路、エプロンなどの施設を拡張し続け、1990年6月からは韓国空港公社が運営を引継いでいます。1994年度には年14万回の運航と400万人を処理できる旅客ターミナル、3.3万トンを処理できる貨物ターミナルと中型機7機が同時に駐機できるエプロン、933台の車が同時に駐車できる駐車場などができ、光州空港(クァンジュゴンハン)は韓半島(朝鮮半島)西南部の航空交通の重要な役割を果たしています。関連ページ:光州空港全羅道 光州-淳昌おすすめ旅行


京畿道(南楊州市) , 南楊州

1995年にオープンした祝霊山自然休養林(チュンニョンサンジャヨンヒュヤンリム)は、祝霊山(886m)とソリ山(832m)へ続く様々な登山路と各種の便宜施設が整った休息空間です。祝霊山は木々が鬱蒼と茂り、渓谷が美しいことで有名で、森林浴場、体育施設、水遊び場、キャンプ場、自然観察場などの施設があります。


江原道(春川市)

文化芸術会館は市民達の多様な文化生活の充実のため、格調の高い公演を準備しています。多様な展示企画を誘致して展示空間を活性化することで市民達が身近に接することができる文化芸術の領域を拡大し、文化生活を楽しむことができることを目指しています。今後も文化芸術会館は顧客の多様な要求と最善のサービスを提供することで市民と身近な文化空間を作っていくことを目指します。


慶尚北道(安東市 )


ソウル(東大門区)

「伝統文化体験館」は、ソウル風物市場を訪れる観光客を対象に、韓国の伝統的な文化工芸品の手作り体験プログラムを提供している場所です。韓国独自の伝統文化を体験することで、韓国をより深く理解できます。家族連れの方にも好評です。


慶尚北道(慶州市 )

皇龍寺址の向かいにある芬皇寺は、新羅第27代の善徳女王3年(634)に建立されたもので、高僧元暁大使と慈蔵が経ったお寺としても有名です。長い歴史がある芬皇寺には、多くの遺物がありましたが、蒙古による侵略や1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)などにより消失してしまい、現在は模塼石塔をはじめとし、和諍国師碑趺(新羅を代表する僧侶「元暁」を称える碑石の石の土台)、三龍変漁井(新羅を守る3匹の龍が居たという井戸)、幢竿支柱などが残っています。国宝第30号に指定されている「模塼石塔(高さ9.3m)」は、安山岩の石材を煉瓦の形に加工し築造した新羅時代に初めて作られた石塔で、現在は3層ですが、本来は7層、又は9層であったと推測されています。芬皇寺の入口にある「幢竿支柱」は高さ3.6mの2つの石塔です。幢竿とは、寺の仏教行事を遠くからでも分かるように、旗を高いところに掛ける木、鉄、石などの竿のことです。幢竿の支えは珍しく石でできた亀の形になっています。


ソウル(江西区) , ソウル西部

2005年3月、韓国初の韓医学専門博物館「許浚博物館(ホジュン・パンムルグァン)」がソウル市江西区にオープンしました。メインフロアの3階には許浚記念室や薬草・韓薬剤展示室、医薬器具展示室、体験コーナー、内医院・韓医院の生活を復元した模型室などがあります。また、体験学習の場として薬袋作り、体質チェック、血圧・体脂肪測定などのスペースも作られています。博物館の1階には管理事務所や付帯施設があり、2階にはミュージアムショップや視聴覚室、休憩所があります。●許浚(1539年~1615年)本貫は陽川、字は清源、号は亀岩。訓錬院正(朝鮮時代、訓錬院に所属していた官職)であった許琨(ホゴン)の孫で、龍川府使(朝鮮時代の龍川府長官)であった許崙(ホロン)の息子として、京畿道陽川県パヌン里ヌンゴク洞ペクソク村(現在のソウル市江西区登村2洞)で生まれました。朝鮮時代中期に名医として知られ、韓医学を集大成した『東医宝鑑』を著し、韓医学の体系を整理しました。