慶尚北道(盈徳郡 )

漁村地域から姿を消してしまった伝統民俗と文化を発掘、保存して伝統漁業文化の継承と発展はもちろんおこと、観光客および青少年達に新しい見どころを提供、教育学習の場として活用し、地域活性化のために設立されました。慶尚北道内で初めて造られた漁村民俗展示館官で体験プログラムも運営されています。澄んだ東海の海と江口港、風力団地など美しい景色を満喫することができる場所です。


京畿道(議政府市)

石林寺(ソンニムサ)は大韓仏教曹渓宗第25教区本寺である奉先寺の末寺です。新羅時代末期に高僧の錫賢が創建したといわれていますが、昔の遺構は残っておらず、朝鮮時代末期に金時習が吟じた『石林庵記』のみが伝わっています。


忠清北道(永同郡 )

284,000平方メートルの敷地に造られた松湖国民観光地は管理事務所をはじめ、駐車場、炊事場、体力鍛練場、子どもの遊び場、散策路、バンガローなどの施設が備えられているだけではなく、観光客により楽しく、快適な休憩空間と体験空間を提供するため、最新の工法と施設で造られた松湖水遊び場が鬱蒼とした松林に広がっています。 水遊び場には子ども用プールと大人用のプール、子ども用ウォータースライド、高さ6m、長さ43mの大人用のウォータースライド、砂風呂などの施設がとり備えられており、多くの避暑客たちが訪れます。また、噴水、バラのトンネル、アンズの花の登山路、特産物をテーマにした彫刻公園など松湖観光地を訪問する観光客たちに様々な見所と楽しみを提供しています。


全羅北道(淳昌郡 )

釵笄山(チェゲサン)は、全羅北道(チョルラプクド)淳昌郡(スンチャングン)赤城面(チョクソンミョン)、全羅北道南原市帯江面(テガンミョン)一帯に聳える標高342mの山です。 釵笄山は回文山(フェムンサン)や剛泉山(カンチョンサン)とともに淳昌三大名山に数えられ、またの名を華山(ファサン=花山)、赤城山(チョクソンサン)、冊如山(チェギョサン)などさまざまな名称で呼ばれています。岩が本のごとく重なり積まれている姿から冊如山、赤城江(チョクサンガン)縁の林洞(イムドン)のメミトと呼ばれる場所から東の方角を眺めると、あたかもかんざしを挿した女性が横になり吟詠する姿・月下美人の形をしていたということから釵笄山(釵、笄いずれもかんざしという意味)、赤城江が近くを流れていることから赤城山と呼ばれるようになったと言われています。 釵笄山つり橋は、国道24号線で赤城釵笄山と東渓(トンゲ)釵笄山に分断されている釵笄山を一つに結ぶ役割を果たす橋で、竣工時現在で、最も長い無主塔の山岳懸垂橋となっています。 全長は270mで、高さは最も高いところで75mから90mあります。


仁川(甕津郡)

2011年11月23日、北韓による砲撃事件の痛みが当時のまま残っている安保体験教育場・延坪島(ヨンピョンド)安保教育場。民家3戸を砲撃した当時の様子がそのまま残され、その残骸が展示されています。安全保障の重要性と平和の尊さを感じることができるのがここ、延坪島安保教育場です。


全羅南道(宝城郡 )

住岩湖(チュアムホ)の美しい風景を背景に剛健な生涯を貫いた独立闘志・松斎(ソジェ)徐載弼(ソ・ジェピル)先生の魂が宿るここ、松斎徐載弼先生生家、そして徐載弼記念公園。 1884年に起きた甲申政変(カプシンジョンビョン)の中心人物のうちの一人であった当時20歳の徐載弼先生は政変失敗後、米国に亡命し、韓国初の西洋医学の医師となりました。 しかし自らの出世にこだわらず、祖国独立のためにその身を捧げ、独立新聞の創刊、独立門の建立など、その生涯を独立運動に没頭した人物です。 徐載弼先生が生まれた全羅南道(チョルラナムド)宝城郡(ポソングン)文徳面(ムンドクミョン)の生家前には徐載弼先生を追慕するために造成された記念公園があり、園内には徐載弼先生の精神が宿る独立門を再現、そのほか遺品およそ800点なども展示する施設があります。。 生家のある場所は宝城郡の北部に当たり、悠久の名刹・大原寺(テウォンサ)や郷土作家展示館・百民(ペンミン)美術館、そして住岩湖畔、昇州(スンジュ)支石墓公園とともに、教育文化観光コースとして観光客に人気の観光スポットとなっています。


慶尚北道(奉化郡 )

承富(スンブ)駅は、1929年4月に栄岩線(ヨンアムソン=栄州[ヨンジュ]~鉄岩[チョラム]間・現在の嶺東線=ヨンドンソン=の一部)という名称で着工した鉄道路線の駅で、韓国戦争(1950~53年・休戦)により工事が中断してしまいました。 1953年の休戦後、再び工事を再開し、1955年12月に完工、1956年1月1日に栄岩線の一番列車が走りましたが、利用客が少なかった承富駅は普通駅から簡易駅へと格下げとなり、その後、さらに旅客営業を行わない信号場扱いとなりました。 しかし、承富駅は1999年の雪花列車(ヌンコッヨルチャ)の運転開始とともに、多くの人々が訪れる駅となり、2004年、再び普通駅となり、現在ではムグンファ(無窮花)号をはじめ観光列車・中部内陸循環列車(O-Train)、白頭大幹峡谷列車(V-Train)が停車する駅となっています。


釜山広域市(中区)

[館守屋] 草梁倭館(チョリャンウェグァン)の長である館守が滞在した場所・館守屋(クァンスオク=館守家[クァンスガ])。 当時、龍頭山(ヨンドゥサン)の東側の麓が最初に市街地として発達しましたが、これは船が着く船着場に近かったことが影響しています。 日本の人々は船で釜山に上陸し、館守屋を通って通商の場であり日本人居留地であった倭館へと向かい、海側に面した龍頭山東側の麓にあるここ、倭館を中心に居住し始めました。 なお、館守屋があった場所には現在でも石の階段が残っています。 [草梁倭館址] 草梁倭館は日本と朝鮮の交易において中心的な役割を果たした場所です。 龍頭山の東側の麓に造られた草梁倭館は、敷地内に神社をはじめ日本人らの便宜施設がたくさんありました。 現在は公園に入る3か所の道が交わる場所に草梁倭館址という碑石が建てられており、古の時代にここに草梁倭館があったことが分かります。古地図を手に、草梁倭館がどんな場所だったのか探してみるのもおすすめです。


江原道(春川市) , 春川

春川最高のドライブコースの1つである九峰山展望台は、景色の美しいことで知られる場所です。この展望台にある休憩所でコーヒーを飲みながら春川の街を眺めていると、日常の喧騒を忘れ、心身共にリラックスルできることで人気を集めています。 山頂にある九峰山展望台の周辺にも素敵な夜景が一望できる場所があります。九峰山展望台カフェ通りと呼ばれるこの場所には、ゆっくりくつろぎながら食事やお茶が楽しめるレストランやカフェが立ち並んでいます。お洒落なインテリアの独特なカフェや各種テーマの違うレストランなど、訪れる者を楽しませてくれます。


全羅南道(珍島郡 )

島全体が多島海海上国立公園に属しており、面積は430,000平方メートルです。 観梅島の船着場に着くと、まず松林に囲まれた観梅八景のひとつに数えられる観梅海水浴場が目に飛び込んできます。 この松林は本来、白砂浜の砂が飛んでしまうのを防ぐために設けられたもので、約2キロメートルに及ぶ白い砂浜の周辺3万坪の広さに、凛とした姿で立つ松が見られます。緩やかな傾斜をなす砂浜には、風に飛ばされてしまうほど細やかできれいな砂が敷かれており、裸足で歩くとなんとも心地よい柔らかい砂の感触が感じられます。南北に長く広がる海水浴場の北端には、ため息が出るほど壮観な海食崖の絶壁があります。数万冊の本を積んだような水成岩層が切り立った絶壁をなし、長い歳月をかけ、波の侵食作用によって作られた神秘的な海食洞窟がところどころにあります。満潮時に水中に隠れ、引潮時に姿を現わす岩にはカメノテ、イガイ、カキ、コンブ、アオサなどがたくさん付いており、これらを獲る楽しさも味わえます。その他、観梅海水浴場から見る多島海の美しい日の入りも見どころのひとつです。 観梅八景は観梅海水浴場以外に、遥か昔、天女が降りてきて臼で穀物をついたという「臼島」、玉皇上帝の伝説が残る「石墓とコンドル」、ハルメ(お婆さん)のお化けが出たという「ルミジュンドゥレンイ窟」、 刀で中央部を切り込んだように真っ二つに割れた岩山「天の橋」、「カミナリ岩」、「ソドゥルパグル滝」、「タリヨ」があり、観梅島の船着場から船に乗って島の周囲を一回りすれば観梅八景を楽しむことができます。環境汚染のないクリーンな海は海の幸の宝庫で、島周辺の岩場はいつの時期でも釣りをする人々の足が絶えない人気の海釣りスポットとなっています。その他の見どころには、天然記念物第212号に指定されたタブノキがあります。