全羅北道(南原市 )

漆塗木工体験観光共同組合は、南原(ナモン)の伝統工芸である木工芸、漆塗り工芸振興のため工芸関係者が設立した共同組合です。 地元工芸品作りの教育・体験が可能な教育場・体験場、カフェ施設があり、組合員それぞれが自ら工房を運営、地元・南原の木工芸品、漆塗り作品の作業工程を見学できます。また、体験・教育プログラムを通じて、地元・南原の工芸産業に接する機会もあります。 木工オブジェ造成事業では風車に自らの願いを込め、足跡を残すことができます。 漆塗木工体験観光共同組合はご来場の方々に工芸を見て、体験して、楽しむ空間をご提供する共同組合組織です。


済州道(済州市 ) , 신제주

済州島(チェジュド)は、韓半島西南の端からおよそ90km沖合の大陸棚上にある火山噴出物によって形成された火山島です。 済州島は火山地形が現在でも数多く残っており、その地球科学的価値は高く、風景も大変すばらしいものがあります。 中でもその火山地形の景色が素晴らしい漢拏山(ハルラサン)、城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)、万丈窟(マンジャンクル)、西帰浦層(ソギポチュン)、山房山(サンバンサン)とヨンモリ海岸、水月峰(スウォルボン)、中文(チュンムン)大浦(テポ)海岸柱状節理、天地淵(チョンジヨン)瀑布の9か所は、ユネスコ世界ジオパークネットワーク(GGN)から世界地質公園(世界ジオパーク)として認定を受けている場所です。 ユネスコが認定する世界地質公園とは、地質学的に価値があり、かつ希少で、景観が美しく、また教育活動及び地質観光が活発に行われ、地元経済の発展に寄与しているところを指します。 済州島はユネスコが認定する世界地質公園・生物圏保存地域・世界自然遺産を擁する世界的な自然観光地として有名な場所です。 * 漢拏山国立公園 [ユネスコ世界自然遺産] ユネスコ世界自然遺産に指定されている漢拏山は、済州島の盾状火山(アスピーテ)の中心をなす標高1950mの山で、軍事境界線以南の南韓で最も高い山です。 漢拏山は済州島のシンボルであり、また韓半島及び周辺海域における第四紀の火山活動の代表的な産物でもあります。 山頂部に深さ108m、直径550mの火口湖・白鹿潭(ペンノクタン)噴火口があり、また霊室奇岩(ヨンシルキアム)と呼ばれる切り立った岩壁やおよそ40のオルム・側火山などさまざまな火山地形があります。 風化や侵食によって盾状火山の元々の地形が崩れず残っている漢拏山は2002年にはユネスコ生物圏保存地域、2007年にはユネスコ世界自然遺産にそれぞれ登録されました。 * 城山日出峰 [ユネスコ世界自然遺産] 標高179mの城山日出峰は水とマグマの作用によって形成された典型的な水成火山で、その姿は済州島の東海岸に巨大な古代の城郭を思わせるほどです。 城山日出峰の凝灰岩丘(タフコーン)は、水深の浅い海底で噴火し海水面上に成長したスルツェイ式火山の誕生と成長過程を垣間見ることができる火山です。 2000年には天然記念物、2007年には世界自然遺産の指定を受けました。 * 万丈窟 [ユネスコ世界自然遺産] 万丈窟は拒文(コムン)オルムから流れ出した溶岩が地表面を流れ形成された溶岩洞窟です。全長はおよそ7400m、高さ最大約25m、最大幅約18mを誇り、世界自然遺産のひとつ・拒文オルム溶岩洞窟系に属する溶岩洞窟です。 * 西帰浦層 西帰浦層とは水とマグマの作用による水成火山活動により生じた火山灰が、海洋堆積物とともに長い間堆積を繰り返し形成された厚さおよそ100mの堆積層で、天然記念物第195号に指定されています。 * 山房山 山房山(サンバンサン)は、済州島南西の沿岸にある、標高395mの巨大な溶岩ドームです。淡い灰色を帯びた山房山の溶岩ドームは柱状節理がよく発達している粗面岩からつくられています。 * ヨンモリ海岸 山房山の溶岩ドームの南の海岸にあるヨンモリは済州で最も古い火山地形で、水とマグマの作用による水成火山活動により形作られた凝灰環(タフリング)の一部です。 ヨンモリは小さな突起のように突出している形状をいい、海の中へ入る龍の頭に似ていることから、龍の頭・ヨンモリと呼ばれ、海岸の風景は素晴らしいものがあります。 * 水月峰 水月峰は、済州島の西端にある、起伏の少ない丘の形をした火山砕屑性堆積層です。 地中から噴出したマグマが地下水に触れ猛烈な水蒸気爆発を起こし、それにより発生した火山灰が堆積し形成された凝灰岩の一部で、その高さは77mにも及びます。 * 中文・大浦海岸柱状節理 大浦洞(テポドン)の柱状節理溶岩は、近隣にある「鹿下旨岳(鹿下止岳=ノカジアク)」というオルム(側火山)から噴出した溶岩が海岸まで流れ冷え固まりできたものです。 特に柱状節理は、分厚い下部と、細く複雑になっている上部の水平及び垂直方向の断面で発達しています。 * 天地淵瀑布 天地淵瀑布は落差22m、幅12mの滝で、滝壺の深さは水深20mにも及びます。滝壺から下流へは西帰浦港(ソギポハン)までおよそ1Kmほどの渓谷が続き、渓谷に生息・植生するオオウナギ、ホルトノや暖帯林は天然記念物に指定されています。


全羅南道(麗水市 )

北韓半潜水艇展示館は1998年12月17日夜、韓半島の南端・麗水市(ヨスシ)突山邑(トルサンウプ)荏浦(イムポ)地域沖に侵入し韓国軍との交戦の末、沈没した北韓半潜水艇を引揚げ、公開展示した施設です。 * 発見から展示まで 98年12月17日 : 23時15分頃、突山邑荏浦地域海上で発見 98年12月18日 : 06時50分、巨済南方100km地点で撃沈 99年3月17日 : 韓国海軍海難救助隊、船体引揚げ 99年4月21日 : 半潜水艇、麗水市に展示申し入れ 99年11月22日 : 北韓半潜水艇及び虜獲物資貸与契約締結(麗水市-国防部) 01年11月24日 : 北韓半潜水艇展示館建設敷地無償使用協約締結(麗水市) 01年12月31日 ~ 02年8月29日 展示館着工及び竣工


京畿道(抱川市 )

大釜をひっくり返したような形から名付いた橋洞(キョドン)カマソ(釜沼)。 この橋洞カマソの地質・地形的特徴のひとつに、溶岩が固まる過程で溶岩内部からガスが抜けたときにできる気孔の跡があります。 橋洞カマソの玄武岩にはこのような跡が数多く見受けられます。 一つの溶岩の塊の中で、内部は塊状の溶岩、表面は溶岩ガスの気孔が至る所に残っているのを観察できます。この他、地形的観点から橋洞カマソを観察すると、玄武岩の浸食面から川の流れの方向を知ることもでき、過去、川がどの方向へ流れていたのが類推することができます。 <出典:漢灘江地質公園>


慶尚南道(南海郡 )

李舜臣(イ・スンシン)将軍を祀る南海(ナメ)忠烈祠(チュンニョルサ)。ここ南海忠烈祠には、李舜臣(イ・スンシン)将軍が殉国後、およそ三か月の間、遺体が安置された仮墓がいまだ残っているのが大きな特徴の祠堂です。 1598年11月19日にこの世を去った忠武公(チュンムゴン)李舜臣将軍の遺体は、忠烈祠のある場所に仮安置され、約3か月後の1599年2月11日には全羅南道の古今島(コグムド)を経て、少年期を過ごしたこともある母方の故郷・京畿道(キョンギド)牙山(アサン)の忠烈祠に移葬されました。 ここ南海忠烈祠の歴史は、李舜臣将軍がこの世を去った34年が過ぎた1633年に一間の草舎を建立し祭祀を行ったことから始まります。 * 聖雄・忠武公李舜臣将軍の仮墓 聖雄・忠武公李舜臣将軍は、三道水軍統制使として壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の露梁海戦に参戦、しかし1958年11月19日ここ慶尚南道海南郡の観音浦(クァヌムポ)沖で殉国してしまいます。 忠武公の遺体は観音浦に運ばれ、古今島を経て牙山忠烈祠へ改葬される前までの3か月間現在のここ南海忠烈祠の場所に仮安置されました。その仮墓が現在でも南海忠烈祠に残っています。 * 忠武公碑・忠愍公碑 南海忠烈祠は規模が統営(トンヨン)忠烈祠などと比べ大変小さいものですが、1973年6月11日、史跡第233号に指定され保護されています。朝鮮時代の文臣で学者であった尤庵(ウアム)宋時烈(ソン・シヨル)が建立し、文臣で学者・書芸家であった宋浚吉(ソン・ジュンギル)が揮毫した李忠武公墓碑と祠宇(サウ・祠堂)、そして忠武公碑と忠愍公碑(チュンミンゴンビ)、内三門、外三門があり、また清海楼(チョンヘル)や将軍の仮墓もよい状態で残されています。 * 亀甲船 南海大橋を渡り、桜のトンネルを抜け露梁村(ノリャンマウル)へ下っていくと、忠武公李舜臣が観音浦で戦死した後、遺体を仮安置した場所・忠烈祠とその前の海に浮かんでいる実物大の亀甲船(コブクソン)が目に入ってきます。忠烈祠前の露梁の海に浮かぶ亀甲船は、およそ20年前、イ・ヒスン氏など学者の考証により、本来の大きさで復元されました。 この亀甲船は元々、鎮海(チネ)士官学校にありましたが、1999年12月ここ南海へ持ってきました。亀甲船内には天字銃筒(チョンジャチョントン)、地字銃筒(チジャチョントン)、玄字銃筒(ヒョンジャチョントン)など様々な武器や当時の姿を再現した模型があり、歴史を体験できる場としても大いにその役割を果たしている施設です。


全羅南道(潭陽郡 )

潭陽(タミャン)湿地は、栄山江(ヨンサンガン)の生態観察の最前線の場所で、自然の力による浄化が行われている代表的な場所でもあります。 また、潭陽湿地には生息している生物の種類が大変多く、河川湿地としては唯一、湿地保護地域に指定(2004年7月)にされているところでもあります。絶滅の危機に瀕しているタカやヤマネコ、ジムグリガエル、天然記念物のハヤブサ科のチョウゲンボウまで滅多に観察することができない動植物が生息しています。


ソウル(西大門区)

1919年3月1日午後2時、孫秉煕(ソン・ビョンヒ)など民族代表らは泰和館(テファグァン)で独立宣言式を挙行し、独立万歳を三唱、民族挙げての3.1独立万歳運動の口火をつけました。 3.1独立宣言記念塔はこの日の崇高な自主独立精神を称えるため、1963年8月15日に再建国民運動本部が主管し全国民からの募金により3.1独立万歳運動の現場であったタプコル公園(ソウル・鍾路)に建てられました。 しかし1979年、タプコル公園の整備事業により撤去され12年間放置されましたが、各界から復元の声が高まり、1992年に抗日独立運動の地である西大門独立公園に移築しました。 塔の高さは4.2mで、塔の後ろには3.1独立宣言文と孫秉煕など独立万歳運動を主導した民族代表33人の名前が刻まれています。


江原道(三陟市)

桃京里駅は日帝強占期に建設された典型的な小さな駅です。 駅舎は鉄道の線路と並行に建てられその上に屋根が取り付けられていますが、駅前広場のある駅舎入口正面側から見ると駅舎の右寄りの場所に桃京里駅の出入口がありその上部に建物と直交する形で切妻屋根が取り付けられています。 駅舎の屋根と出入口の上の直交した切妻屋根はほぼ同じ高さに取り付けられています。駅舎出入口の右外側には雨よけのひさしが取り付けられ、駅舎を囲むように線路側の方へひさしが乗降客用に延び、その端にプラットホームで列車を乗降する人が出入りする待合室出入口の両開きのガラス戸が設置されています。 外壁は現在はモルタル造であることが確認できますが、竣工当時、元々モルタルであったのかどうかは不明です。 また駅舎の屋根に使用されている屋根瓦は日本様式のものそのものです。 駅舎の線路側の方もさまざまな特徴があります。 駅前広場側の入口同様、線路側の方にも駅舎のメインの屋根と直交する形で切妻屋根が作られている部分があり、その部分は駅舎の建物から線路側に少し張り出す形で作られ駅を行き交う列車がよく見えるよう駅務室が設置されています。また雨よけのひさしは駅舎右側からぐるっと線路側のこの駅務室の横まで続いています。 この駅の特徴的なのは、建物のメインの屋根と直交する広場側の入口上の切妻屋根が建物右側に、同じように建物のメインの屋根と直交する線路側に突出した駅務室がある上部の切妻屋根が建物やや左側にあるというように、切妻屋根がメインの建物に対して十字の形で直交して作られる他の駅とは違う構造となっている点です。 ※竣工年度 1939年5月15日


京畿道(漣川郡)

地蔵峰(チジャンボン=標高877m)が源流である才人(チェイン)瀑布は漢灘江の西側の奥まった支流にあります。高さ約18メートルの瀑布から落ちる澄んだ冷たい水と、周囲の鬱蒼とした樹木が素晴らしい光景を作り出します。 特に夏と秋には多くの観光客が訪れるところです。 この瀑布の名前ですが、その昔、村の領主が綱渡りの達人の才人に絶世の美女である妻がいることを知り、才人にこの瀑布で綱渡りをさせ死に至らしめ、その妻を奪おうとしたところ、その妻が自決、その後、才人の怨念が宿るこの瀑布を人々は才人瀑布と呼ぶようになったという伝説に由来しています。 ソウルから才人瀑布までバスで1時間半の距離で日帰り可能なコースです。軍事作戦地域に属し、土・日曜日にのみ開放されますが、、5月から9月までの間は平日にも検問なしで通過できます。才人瀑布から漢灘江に沿って進むと全谷先史遺跡地、漢灘江遊園地、崇義殿といった観光地や憩いの場が多くあります。宝蓋山を超え、くねくねした道を漣川邑まで下りていく道は仙郷を見るような風景で、近くの東幕谷(トンマッコル)は若者が多く集まり避暑地としても有名です。


慶尚南道(統営市 )

統営(トンヨン)の夜は格別です。 華やかでありながら、温かな雰囲気を醸し出すライトアップが夜の統営運河を彩ります。 夜景ツアーのハイライト・統営大橋は、鮮やかなライトアップの光に包まれ、昼間よりも一層眩しく輝いています。 夜が美しい都市、統営、そして夜の海。 その統営を海上観光タクシーの乗ってゆったりと遊覧。浪漫あふれる統営で夜景の美しいナイトクルーズをご満喫ください。