大田広域市(儒城区)

大田先史博物館は 当地唯一の先史時代専門博物館で、大田広域市初の市立博物館です。1997年に発掘された老隠洞(ノウンドン)遺跡地(記念物第38号)内にある大田先史博物館には「老隠先史文化館」をはじめ大田市のあらゆる先史文化を垣間見ることができる旧石器時代から鉄器時代に至るまでのすべてで5つの展示室があります。また野外体験場や体験資料室もあり、児童・生徒のための学習スペースとしてもおすすめの場所です。行政、科学、そして観光都市として暮らしやすい大田は先史時代から先祖がその生活の基盤として暮らしてきた歴史と文化の都市でもあります。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

崇政殿(スンジョンジョン)は元々、慶熙宮(キョンヒグン)の正殿であった建物です。 慶熙宮は元来、朝鮮時代の第16代の王・仁祖(インジョ・1595~1649年)の実父で第14代の王・元宗(ウォンジョン・1580~1619年)の私邸であった場所でした。 崇政殿は、1910年日帝が慶熙宮を壊し日本人の子弟のための学校・京城中学校を設立した際にも残されました。 その後の1926年にソウル中心部の南山(ナムサン)の麓・筆洞(ピルドン)、現在の東国(トングク)大学校の場所で曹渓寺(チョゲサ)の本殿として使うため、移築されました。 日本の植民地支配から解放された1945年の光復(クァンボク)後、東国大学校設立に伴い、1976年9月、現在の位置に再び移築されました。現在は仏教の儀礼を行えるよう内部が造り変えられています。


慶尚北道(星州郡 )

星州ハンゲ村は星山李氏が代々住んできた典型的な同姓村落です。朝鮮第4代国王の世宗大王の時に晋州牧師李友(イ・ウ)が住み始めて村を形成しました。現在は月峰(ウォルボン)李廷賢(イ・ジョンヒョン)の子孫達が集姓村を形成して住んでいる村です。村には地方文化財に指定されている9棟を中心に保存状態の良い伝統韓屋が残っています。


全羅南道(木浦市 )

* 高下島展望台 名将・李舜臣(イ・スンシン)公が鳴梁大捷(ミョンニャンデチョプ=1597年)の海戦で日本に勝利し、その後106日間にわたり李舜臣率いる水軍の艦隊を整備するため駐屯した高下島(コハド)。 その李舜臣公の功績と志を称えるため、「板屋船模型」十三隻を格子型に組み上げたような形の建物を建て展望台にしたのが、ここ高下島展望台です。 * 高下島海岸デッキ 高下島海岸デッキは、総延長1080mの全区間が海の上に設置された遊歩道です。 高下島海岸デッキからは、高下島の海岸にある自然の絶景・海食崖や木浦の海辺を眺められるほか、涼しげに広がる木浦の蒼い海原、標高228Mの木浦を代表する儒達山(ユダルサン)、多島海の関門であり浪漫の港・木浦港(モッポハン)、そして沈む夕陽が美しく夜景の名所でもある木浦大橋の風景もお楽しみいただけます。 海の上を歩いているかのような海辺の道・高下島海岸デッキ。美しい自然の風景、そして海岸の絶景を海と陸地から同時に鑑賞できる高下島ヨンオルムキル海岸デッキにぜひお越しください。


全羅南道(潭陽郡 )

メタプロバンスは、年間約500万人の観光客が訪れる全羅南道(チョルラナムド)潭陽(タミャン)に作られた観光団地で、休養地として有名なフランスのプロバンス地方を模して造られた異国情緒あふれる場所です。すぐそばには大韓民国で最も美しい並木道と名高い潭陽メタセコイアキルもあります。 メタプロバンスは、個人でのご旅行の方をはじめ、家族連れ、お友達同士でのご旅行におすすめなファッション通り、デザイン工房や体験館、商業施設、そして宴会場など、文化や芸術、ショッピングが共存する開かれたスペースとなっています。 メタプロバンスは、他にはない多種多様な素晴らしいサービスで、かけがえのないひと時や思い出作りを楽しんでいただけるよう、皆様をお迎えいたします。


全羅北道(井邑市 )

高麗時代、地方の儒学者により崔致遠の学問と徳行を称えるために生祠堂(生きている人を祀る祠堂)が建てられ、泰山祠と呼ばれていました。この建物は1483年、丁克仁が建てた郷学堂があった場所(現在の場所)に移されました。1696年に崔致遠と申潜の2つの祠堂を1つにし、王より「武城」の扁額が下賜されて書院となりました。武城書院(ムソンソウォン)は1868年の大院君の書院撤廃を免れた47の重要書院のひとつで、その後、修復を重ねながら今日に至っています。現存する建物には祠宇、絃歌楼、明倫堂、荘修斎、興学斎、庫舎などがあります。


京畿道(坡州市 )

大韓民国の20世紀文化は大変大きな変動を経験しました、日本に統治権を奪われた1910年から40年代、苦難の6.25戦争が起こった1950年代、「いい暮らしを目指そう」という一念で全国民が一致団結した1970~80年代まで、次第にその時代のことを忘れてしまうのではないかという懸念から、2005年に30年間収集した様々な収集品約7万点をヘイリ村に移し、この博物館を開館しました。 入口から昔の懐かしい匂いが漂う韓国近現代史博物館は地下1階、地上3階建ての建物で、各フロアごとにそれぞれ異なる時代のとある街並みを丸ごと再現した韓国初の近現代史を振り返るテーマ博物館です。


大邱広域市(中区)

地元の厄介者と見られていた廃墟が、市民みんなが楽しめる文化・芸術スペースに生まれ変わった寿昌(スチャン)青春マンション。大邱(テグ)広域市中区(チュング)寿昌洞(スチャンドン)にあるこの寿昌青春マンションは、旧・KT&G(旧韓国タバコ人参公社)煙草製造廠(工場)で働く職員用宿舎として使われていた集合住宅をリノベーションした文化芸術複合スペースです。 1976年から職員宿舎として利用されてきましたが、1996年にその役割を終え、20年以上もの間、使われず放置されていました。 この使われなくなった建物は2016年文化体育観光部の文化再生事業に選ばれたことで転換点を迎えます。 これまでこの建物が経てきた50年近くの歳月の痕跡を外壁に残しつつ、内部は若手アーティストのための活動の場として整備、新旧が共存するスペースとして再び生まれ変わった寿昌青春マンション。 寿昌青春マンションは、2年間の改修を経て、2017年12月「寿昌青春マンション」として正式に開館、2018年9月には大邱現代美術家協会による寿昌青春マンションの受託運営を開始し、2018年11月3日再スタートを切りました。 ただ古びた建造物として長きに間放置されていた寿昌青春マンションは、今では大邱地域の若手アーティストのアート活動拠点として利用されています。 [出典:寿昌青春マンション]


大田広域市(大徳区)

* 地域住民の文化空間、韓南大学校聖志館 * 聖志館(ソンジクァン)は校門の正面にある建物で、韓南(ハンナム)大キャンパスの北側に位置しています。 この建物は1985年4月に着工し、1986年8月に竣工しました。 延面積はおよそ3,000平方メートルで、客席は1階席1048席、2階席564席、すべてで1612席で、竣工当時、大田(テジョン)を中心とする忠清(チュンチョン)地域最大規模の講堂で、さまざまな学校行事や地域住民の文化スペースとして活用するため建築されました。 「神聖な志」を意味する「聖志館」と命名されたのは完成当時、聖志館の主な利用がチャペルとしての機能であったためで、チャペルの時間を通じて神の神聖な志が宣布され、神の神聖な志に耳を傾けるすべての学生が真の信仰を通じて正しい人格を形成する知性ある人物として神聖な志を養い心に誓うという意味を込めて聖志館と名付けられました。建物の南西側の壁面には「聖志館」の文字がそれぞれ縦・横2mの大きさで書かれており、この文字は韓国を代表する美術展・国展の招待作家である長巌(チャンアム)李坤淳(イ・ゴンスン)氏の字体をそのまま鋳物で制作したものです。 聖志館正面に架かる十字架はその大きさが4メートルの大型で、美術教育科パク・ビョンヒ教授の設計で制作されました。校門から建物を見ると正面に位置しているため、校門の十字架像とともに、韓南大学校の教育理念がキリスト精神に礎を置いていることを可視的に表わすシンボルとも言えます。