慶尚北道(慶州市 )

「慶州(キョンジュ)ワールドカリフォルニアビーチ」は慶州普門団地に位置する南部圏最強のウォーターパークとして知られています。世界的なテーマパーク専門設計会社であるカナダForrec社にコンセプト及び詳細設計を依頼・進行し、異国的な風景が演出されています。 韓国初・アジア最大規模の水しぶき「サブマリンスプラッシュ」、カリフォルニアビーチの代表アイコン韓国最大規模の「エックス」、カプセル型スタンディングスライド「ダブルエクストリーム」、急降下と急回転を同時に満喫するダイナミックチューブスライド「ワイプアウト」、長さ320メートル超強力流水プール「ウェーブキャニオン」の他、波のプール、キッズプール、バーデプールなど家族一緒に楽しめる施設を備えています。


慶尚北道(清道郡 )

雲門山(1,188m)は嶺南アルプスを形成している1,000級の7つの山のひとつです。山勢が雄大で木々が生い茂っており登山客が多く訪れる山です。頂上からの展望は南側の向かい側に天王山のススキ畑が見え、東側には加智山に続く稜線が見えます。ここには雲門寺をはじめ、大小様々な寺や庵子があります。 雲門寺 雲門山の北側の麓にある寺院で新羅真興王18年(557年)に神僧が創建し、円光法師、宝襄国師、円應国師、一然禅師が続いて修復をしてきました。壬辰倭乱の時に一部の建物が焼失しましたが、五百羅漢殿、観音殿などが昔の姿のままで保存されています。ここには宝物第193号である金堂前石燈をはじめ、7点を保管しています。すべて新羅・高麗時代のもので由緒正しい場所です。


慶尚北道(慶州市 )

慶州の普門団地内にある韓国大衆音楽博物館は大韓民国で最初の有性音盤から現在までの音盤を常設および企画展示してある場所で政府から公認された第1種専門博物館です。各階330坪規模で全3階立ての建物です。映画OST特別館、韓国最初のダンス歌手イ・グムヒショーケースパネル、子ども館、韓国大衆音楽100大名盤館、LP制作過程のパネル展示、再生機に関するパネル展示、K-POP100年史の主要音盤と関連した各種企画展示が行われています。 K-POP100年史の他にも1920年代の無声および有声映画時代に使用していたウェスタンエレクトロニック16A、ウェスタンエレクトロニックミロフォニックシステムなど世界最高の貴重な音響システムも常設展示してあります。K-POPとオーディオ100年史を展示物とした大韓民国大衆音楽の宝庫としての役割をするために多様なプログラムも運営されています。 開館日:2015年4月25日


京畿道(竜仁市)

自然豊かな子供たちの遊び場 農村学習体験場「ハンターポニー農場」では、農作物を実際に見たり、動物を触ったり、土の上で遊びながら、自然の大切さを知り、夢をはぐくむ体験学習型農場です。 平日には幼稚園や小学校の団体を対象にした体験学習農場が運営され、週末には家族連れのための体験農場として人気を集めています。


慶尚北道(永川市 )

永川慈川里の「五里長林(オリジャンリム)」は村の防風、堤防保護および洪水防止のためにつくられた森です。 1500年代に村の住民らがつくったと伝えられており、現在はアベマキなど12種約280本の木々が森を成しています。森の長さが5里(2キロメートル)に達するため昔から五里長林と呼ばれ、近ごろは慈川(チャチョン)の森と呼ばれることもあります。村の住民らは、この森がくつられた時から毎年小正月に村の平安を祈るための祭祀を執り行なっています。 五里長林は堤防保護、村の守護および村の景観を美しくする役割を果たしているだけでなく、民族の自然愛護思想がわかる貴重な資料となることから天然記念物に指定され保護されています。


京畿道(安城市)

家畜と共感する農場体験安城ファームランドは牧場生活を体験できる場所です。牛・羊・ガチョウ・豚・ロバなど25種類の家畜を触ったり、餌をあげたりでき、動物たちと仲良くなれる場所です。様々なプログラムのほか、遊戯施設、アトラクション施設などもあり、お子様連れでのご利用におすすめの場所です。


慶尚南道(統営市 )

1604年に設置された統営(トンヨン)三道水軍統制営は、1895年に廃営となるまで足かけ292年、慶尚(キョンサン)・全羅(チョルラ)・忠清(チュンチョン)の三道の水軍を指揮した本営(現在の組織で言えば海軍本部に相当)です。 壬辰倭乱(イムジンウェラン=日本で言う「文禄・慶長の役」)の際、初代統制使に任命された李舜臣(イ・スンシン)将軍の閑山島(ハンサンド)陣営が初代の統制営で、現在の統営にある三道水軍統制営は第6代統制使・李慶濬(イ・ギョンジュン)統制使の時代に設営された場所です。 統制営の主な建物には、朝鮮時代の最も大きな木造建築のひとつに数えられる洗兵館(セビョングァン=国宝第305号)があるほか、地方工房でも最大規模を誇り壬辰倭乱当時、軍需品などを作っていた統営十二工房などがあります。


江原道(寧越郡)

西江は平昌江と酒泉江の出会う寧越郡西面甕亭里から東江と西江の出会う寧越邑までの区間です。 西江は寧越郡西面甕亭里仙岩村から始まり、端宗(朝鮮第6代王)が最初に流罪に処した清冷浦を抱き、東江と出会い南漢江に流れます。東江を水流の激しい男性的なシンボルとするなら、西江は水流の穏やかな女性的なシンボルとして表現されます。 西江にはオルムチやシュリなど1級河川にのみ生息する淡水魚がたくさん生息し、カワウソやカワアイサ、オシドリなどが見られます。最近、新しい観光地として脚光を浴びています。 西江の特徴は仙岩村の風景ですが、この村は驚くほど韓半島の地形にそっくりです。周辺には仙岩、 寧越立石、清泠浦、韓半島地形、 観瀾亭などがあります。


ソウル(中浪区)

忘憂里(マンウリ)公園は、東亜日報1933年2月2日付記事「弥阿里(ミアリ)共同墓地がしばらくして満杯となることに備えて、京畿道(キョンギド)忘憂里の林野およそ70万坪を京城府の共同墓地として決定した」、同1935年10月24日付記事「梨泰院(イテウォン)の共同墓地を宅地化するため、37,000基あまりのうち縁故者がある墓は忘憂里に移葬し、無縁故の墓は新寺里(シンサリ)で火葬することとした」という当時の新聞記事からも分かるように、忘憂里の忘憂山を1933年から現在のソウル市の共同墓地として利用したのがその始まりです。 その40年後の1973年3月25日には、およそ28,500基の墓で一杯となり、墓を増やすことは禁じられ、改葬や埋葬された遺骨を整理した結果、2018年12月現在で7,425基まで減り、今後も墓の数は減少していくものとみられます。 ちょうどこの改葬を行った時期に、韓国を代表する著名な独立運動家・島山(トサン)安昌浩(アン・チャンホ)、 植民地時代に東亜日報社長を務め教育家・政治家などとしても活躍した古下(コハ)宋鎮禹(ソン・ジヌ)、国楽の名唱・林芳蔚(イム・パンウル)、愛国志士・趙鐘完(チョ・ジョンワン)、独立運動家・朴賛翊(パク・チャニク)、文学評論家・白大鎮(ペク・テジン)などの墓も改葬され、国立墓地や市立公園墓地に埋葬されました。 1992年2月にはここに眠っていた児童文学者・方定煥(パン・ジョンファン)、言論人・呉世昌(オ・セチャン)、僧侶で詩人の韓龍雲(ハン・ヨンウン)、独立運動家で政治家の曺奉岩(チョ・ボンアム)、医師で国語学者の池錫永(チ・ソギョン)、独立運動家・文明煊(ムン・ミョンフォン)、言論人で政治家としても活躍した張徳秀(チャン・ドクス)など7人の年譜碑を地元・中浪区(チュンナング)により散策路を中心に建立、続いて1998年2月には、詩人・朴寅煥(パク・イナン)、学者・言論人の文一平(ムン・イルピョン)、教育者・徐丙浩(ソ・ビョンホ)、独立運動家・徐東日(ソ・ドンイル)、独立運動家・呉哉泳(オ・ジェヨン)、独立運動家・徐光朝(ソ・グァンジョ)、独立運動家の劉相奎(ユ・サンギュ)、医師で独立運動家の呉兢善(オ・グンソン)など8人の年譜碑が追加で5.2Kmの散策路に建てられました。 これまで忘憂里市民公園には、3.1独立運動を主導した万海(マンへ)韓龍雲などをはじめとした17人の著名人が埋葬されている墓地として知られていましたが、各マスコミの人名録や独立有功者功勲録を中心にソウル市施設管理公団葬墓文化センターの故人検索を元に、墓をひとつひとつ実際に確認し、17人以外にも小説家・桂鎔黙(ケ・ヨンムク)をはじめ10人の著名人が埋葬されていることが新たに分かりました。 <出典:ソウル市中浪区庁>