慶尚北道(慶州市 )

慶州から奉吉里(ボンキルリ)海水浴場行きのバスに乗って50分ほど行くと東海が見えてきますが、その青い水面の先に小さな奇岩が見えてきます。これが新羅・高句麗を統一した新羅(BC 57~AD 935)の第30代の王である文武大王(AD661-681)の水中陵(ムンムダウァンスジュヌン)。他に例を見ないこの水中陵は文武大王の遺言によって作られたもので、大王は亡くなってから海の龍となり国を無事を守る存在と考えられており、王室は王の死後慶州からほど近い距離にあるこの地を選びこの岩島に大王を葬ったとされています。周囲が200メートルの岩の中心東西南北に水路を造って小さな穴を掘り、深さ3.6m、幅2.85m、厚さ0.9mの大きい石を水中2mの深さの位置に置きその下に遺骨を奉ったといわれていますが、火葬にして灰をまいたという学者もいて説が分かれ議論が続いています。またこの文武大王水中陵近くの感応寺跡までは龍になった王が感応寺で体を休めるようにと小さな水路があったと言われており、その痕跡を見ることもできます。


釜山広域市(東莱区)

東莱邑城址(トンネウプソンジ)は、東将台(トンジャンデ)がある忠烈祠(チュンニョルサ)の裏山から馬安山(マアンサン)を通り、西将台がある東莱郷校の裏山までの丘陵地や現在の東莱(トンネ)市街地中心の平坦な地域を一部含む典型的な平山城の形式で築城した城郭址です。東莱邑城は山城や平地の利点の双方を持つ、代表的な邑城でした。 高麗時代末期から朝鮮時代初期に築き上げられたものとみられる東莱邑城は、1592(宣祖25)年の壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の際、この地域を治める東莱府使・宋象賢(ソン・サンヒョン)公をはじめとする軍・官・民あらゆる人々が渾然一体となり倭軍に立ち向かい、壮烈な戦いが繰り広げられた壬辰倭乱初期最大の激戦地でした。 壬辰倭乱以降放置されていた東莱邑城でしたが、1731(英祖7)年、東莱府使の鄭彦燮(チョン・オンソプ)が国の要である東莱の重要性を鑑み、壬辰倭乱当時の邑城よりもさらに大規模な邑城を築きました。この時築城した邑城が現在までその痕跡を残している東莱邑城です。 東莱邑城には東門、西門、南門、北門、人生門、そして暗門があり、それぞれの門には門楼もあります。 東門には志喜楼(チヒル)、西門には心成楼(シムソンヌ)、南門には無憂楼(ムウル)、暗門には隠一楼(ウニルル)と言われる楼閣があります。 また重要な門楼であった南門には翼城(イクソン)を設け、前面に洗兵門(セビョンムン)、後方に朱鳥門(チュジョムン)を置く二重構造となっているほか、西門・暗門・北門には敵からの攻撃から守るため城門の前方に半円形の城郭を設けた甕城(ウンソン)の形式となっていました。ほかにも東莱邑城には、城内の高台に設けた建物で将帥が敵の動きを監視したり兵を指揮する為の指揮台・将台(チャンデ)、望楼(マンヌ)及び15の堡楼(ポル)などもありました。 日帝強占期(1910~1945年)になると、市街地計画という名目で西門から南門にいたる平地にあった城郭が撤去されたほか、南門から東門に至る城郭のあった場所にも民家が建てられ、結果、馬安山を中心とする山地にのみ城郭の姿がわずかに残るだけとなりました。 2000年代以降、東莱邑城内の敷地で行われた様々な工事の際の発掘調査により、壬辰倭乱当時の城郭の痕跡(朝鮮時代前期の邑城)や壬辰倭乱以降築かれた平地に築城された城郭の痕跡、そして朝鮮時代末期に修築された城郭を確認することができました。 これら発掘調査により、東莱邑城全体の正確な範囲、規模などが分かり、東莱邑城研究に多大な貢献をもたらしました。 釜山広域市では現存する城跡を中心に、毀損あるいは放置されたままとなっている城郭については発掘調査とともに補修・復元を今度とも推進する予定です。 <出典:釜山文化観光>


仁川(西区) , 仁川市街地

黔丹地域では1999年から土地区間整理事業の一環として文化遺跡の発掘調査が行われています。調査結果、青銅器時代を中心に旧石器時代から朝鮮時代に至る多様な時期の遺跡と遺物が確認されました。このような発掘成果を土台に2008年11月27日に黔丹先史博物館が開館しました。黔丹先史博物館は先史時代の生活を時代別、地域別に展示しており、先史時代の文化を実際に体験することができる体験学習室も運営しています。


慶尚北道(高霊郡 )


江原道(束草市) , 束草・雪岳山


江原道(寧越郡) , 平昌

東江写真博物館(トンガン・サジン・パンムルグァン)は韓国初の公立写真博物館で、2005年7月にオープンしました。現代的な写真が多く展示されており、国内外の有名な写真作家達の作品約1500点やカメラ約130点を所蔵しています。毎年夏になると、東江国際写真祭が開催され、様々なテーマの企画展も行われます。* 開館日:2005年7月23日


慶尚南道()

メイン競技場の形は鶴のイメージで造られており、21世紀の環太平洋に向かって飛躍する産業の首都・蔚山を象徴しています。主な施設としてはサッカー専用競技場、補助競技場、展望広場、湖、プロムナード、噴水台、野外ステージがあります。


全羅南道(麗水市 )

麗水船所遺跡は、全羅南道麗水市枾田洞に ある遺跡で、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、李舜臣(イ・スンシン)将軍が、造船技術を持っていた羅大用(ナ・デヨン)と共に亀甲船を作った場所です。 現在、この場所には、自然の地形を生かして、亀甲船を隠した掘江や亀甲船を繋いだ繋船柱などの遺跡が残されています。


江原道(寧越郡)

江原道寧越郡金サッカッ面臥石里に1998年着工し、2000年7月29日に開館しました。 民画博物館では朝鮮時代の民画3千点が所蔵されています。木版に民画を描いてみることができる体験コーナーと成人のみ入場することが出来る春画展示館もあります。 開館時間は11月~2月までの冬季は午前10時~午後5時まで、3月~10月までの夏季は午前9時~午後6時までです。また、寧越郡には民画博物館以外に金サッカッ文化館やインド美術博物館が位置しています。


忠清南道(泰安郡 )

オーシャンキャッスルリゾートは、泰安海岸国立公園の中心にある自然のリゾート。安眠島にある最高級メンバーシップリゾート地として休息やレジャーだけでなくアートも楽しめる21世紀型の海洋リゾートです。首都圏からは西海岸高速道路の開通により所要時間は約2時間程度。ホテルには全客室超高速インターネット設備を完備しているほか、水のレジャーとウェルネスセンターを兼ね備えたアクアワールドもあり、西海岸の総合休養リゾートとして人気を集めています。