釜山広域市(金井区)

梵魚寺(ポモサ)は釜山の名山である、金井山のふもとに位置しています。今から約1,300年前の新羅時代の文武王のとき、高僧の義湘大師によって建てられました。地理書である『增東國輿地勝覽』には 、梵魚寺 の由来を次のように紹介しています。金井山の尾根に井戸があり、その水は金色でした。そして、天から金色の魚が、五色の雲に乗っておりてきて遊んでいました。このことから、天の魚を意味する「梵魚(ポモ)」より、梵魚寺と名づけられました。 梵魚寺は新羅時代に建てられましたが、創建当初の建物は壬辰倭亂(1592-1598)の時に焼失し、現在の建物は朝鮮時代の1713年に再建されたものです。そのため、大雄殿は繊細で華麗な、朝鮮時代最高の建築といえます。梵魚寺の中には、9世紀ごろ建てられた三重の石塔や、四本の石柱に支えられた一柱門、七棟の殿閣、楼閣、 三つの門、十一の庵子、などがあります。さらに、天然記念物の藤が咲き乱れる5月は、周囲の溪谷と調和を成し、一層美しい景色を見ることができます。  


忠清北道(清州市 )

韓国で3番目に大きなダム、大清ダム大清ダムは、高さ72m、長さ495m、体積123万4,000㎥の重力式コンクリートダムと石塊式ダムからなる複合型ダムです。錦江河口から150㎞の上流地点にあり、大田市から東北側に16㎞、清州市から南側に16㎞の位置にあります。錦江は韓国中部内陸から西海に流れる河川で、長さ401㎞、流域面積は国土面積の約10%に相当する9,886㎢ほどになります。大清ダムの主要施設としては貯水容量14億9,000万㎥の本ダムと調整池ダムがあり、本ダムの周辺には貯水池の水が他の地域に溢れないようにする3つの補助ダムがあります。 また大田と清州地域に用水を供給するための導水路や施設容量9万㎾の水力発電所があります。このダムは1975年3月に工事に着手し、5年9ヶ月の工事を終えて1980年に完成しました。ダムの完成により、ダムの下流地域の洪水被害を軽減すると共に、下流地域の農業地に農業用水を供給し、さらに経済成長と人口増加により急激に増加している大田、清州、全州、群山などの忠清、湖南地域に生活用水と工業用水を供給しています。年間2億4,000万kwの電気を生産し、中部地域に郊エネルギーを供給することをもって、経済発展の原動力になっています。展望台に上がると、大清湖をより美しい形で眺めることができ、大清ダムの左岸にある大清ダム水文化館では、水の大切さを伝える多様な展示物を見ることができます。大清湖のもうひとつの楽しみ、ドライブ 大清湖のドライブコースは2つのコースからなっています。そのうちのひとつは、清州と新灘津をつなぐ大清湖の北側のコースで、もうひとつは報恩と沃川をつなぐ大清湖の右側のコースです。2コースのうち清原郡文義面と賢都面オガ里の間の景観が美しいといわれています。


全羅北道(井邑市 )

1894年に反腐敗・反封建・反外国勢力を唱え蜂起した全琫準、金開南、孫華仲ら数多くの無名の東学農民軍が全州監営に派遣された官軍を破った最初の勝地でもあり、古阜民乱が東学農民革命へと発展していく上で決定的な役割を果たした聖地に、これを追慕および記念するための空間として東学農民革命記念館が造成されました。歴史上最初の農民蜂起を記念する甲午農民革命記念塔があり、東学農民革命関連の様々な教育およびイベントを行なっています。


京畿道(富川市) , 富川

富川市上洞にある総合バスターミナル。京畿道、江原道、忠清道、全羅道など、全国各地を往復する路線が完備されています。


光州広域市(西区)

5・18記念公園は1980年5月18日に起きた光州(クァンジュ)民主化運動の教訓を正しく継承・発展される目的でつくられた市民の憩いの場所です。 大韓民国陸軍の教育訓練施設・尚武台(サンムデ)が1994年、全羅南道(チョルラナムド)長城郡(チャンソングン)に移転し、その跡地の一部を市民公園として無償譲渡されこの公園を造成しました。 5.18記念公園は面積20万4,985平方メートルの敷地を誇り、伝統池や様々な樹木が植えられ、子どもたちの自然学習の場としても広く利用されている場所でもあります。 * 記念公園の施設と見どころ 5・18記念公園には5・18資料室や公演・行事施設を兼ね備えた5・18記念文化館、市民軍彫刻像・追慕空間などからなる5・18現況彫刻及び追慕昇華空間、5・18精神を象徴的に表現し市民が一致団結して運動を起こした大同精神から名づけられた円形噴水公園がある大同公園(テドンコンゥオン)、5・18民主化運動学生記念塔、光州学生教育文化会館、公園の小高い丘の上には展望台のようになっている三階建ての楼閣・五月楼などがあります。 このほかにも、園内には寺院・無覚寺(ムガクサ)や芝生広場、散策路などがあります。


忠清南道(天安市 )

ユリャン川とサンバン川の分水嶺になっている太祖山(テジョサン)は天安(チョナン)の背後にある山で頂上に登れば天安市が一望できます。高麗の太祖王建(ワンゴン)がこの山で兵を鍛えたところから「太祖山」という名がついたと伝えられています。大韓仏教の曹渓宗の覚願寺(カグォンサ)は南北統一を願う仏教徒をはじめとする多くの人びとの真心こもった寄付金によって1977年5月9日に開かれました。高さ15メートル、胸まわり30メートル、耳の長さ175センチ、指の爪の長さ30センチ、重さ60トンの青銅製の座大仏が太祖山の主峰を背にして西を向き、慈悲の微笑みをたたえ衆生に向き合っています。この大仏の左には韓国最大の大雄宝殿と尞舎をはじめとする建物が整然と並んでいて、多くの参詣者の祈祷所となっています。観光コース:覚願寺-天安三叉路-独立記念館-柳寛順烈士史跡覚願寺-望郷の銅像-慰霊城跡推薦コース/TIP:成仏寺 2キロメートル、太祖山修練場 2キロメートル、望郷の銅像 3キロメートル* 太祖山修練場は青少年の価値観育成を目的に心身修練の道場を兼ねたファミリー観光リゾートです。


慶尚北道(慶州市 )

慶州市陽北面の含月山にある新羅時代の寺で、16棟の建物です。これは仏国寺の次に大きな規模です。 この寺は新羅初期に、天竺国の沙門の光有聖人が創建したと伝わっています。初めは林浄寺と呼ばれていましたが、元暁が寺を拡大し、祗林寺に改称したと言われていますが、正確な建立年はわかっていません。祗林寺は大きく2つの区域に分かれています。毘盧舍那仏のある大寂光殿を始め、樹齢500年以上になる大きなインドボタイジュや木塔跡のある地域、聖宝博物館、観音殿などのある地域です。新羅・善徳女王のときに初めて建てられた後、6回にもわたり再建された大寂光殿は、端正で勇壮です。祗林寺はまた5種類の味のする水で有名です。五種水と呼ばれており、お茶を沸かして飲めば味が最高だという甘露水、飲むと心が落ち着くという和静水、体を丈夫にする将軍水、目がよく見えるようになる明眼水、水がとてもきれいでカラスがついばんだという汚濁水があります。しかし、日帝強占期に将軍が生まれることを恐れ、水源を絶ったという将軍水を除く4つの水は今も残っています。祇林寺に行く途中には、12の石窟でなる骨窟寺があります。もともとは祇林寺の山内の庵子(大きな寺に付属する小さな寺)でしたが、寺が独立し禅武道の本山となり、韓国全国に禅武道を広めています。


全羅北道(扶安郡 )

故沙浦海水浴場(コサポヘビョン)は、辺山海水浴場の南西側に位置する海水浴場です。それほど有名な海水浴場ではありませんが、辺山海水浴場と同様の海水浴場としての好条件を備えています。しかし、辺山海水浴場に比べてあまり知られていないため、静かに海水浴を楽しむことができます。 特に、海岸の後方に広がる松林が壮観をなしており、キャンプをするにも適しています。


慶尚北道(鬱陵郡)

蓬莱瀑布(ポンレポクポ)は3段25メートルの滝です。滝から流れ落ちる水で滝のまわりは夏でもひんやりとしています。この滝は観光資源でもありますが、同時に鬱陵(ウルルン)邑の飲用の水源でもあります。鬱陵邑の食堂や旅館で使われている水のほとんどがこの滝のものです。滝の周囲には二つの観光名所があります。風穴と森林浴場です。風穴は草洞里から蓬莱の滝のほうに登っていく道の入り口にあります。天然エアコンともいわれる風穴からは真夏でも摂氏4度の風が岩の隙間から吹き出てきます。風穴の隣に森林浴場が整備されています。うっそうとした杉林に囲まれた森林浴場は夏場の観光客には良い避暑地となります。


全羅北道(扶安郡 )

全羅北道、扶安の格浦海水浴場近隣にある辺山半島国立公園内に<大明リゾート 辺山>は位置しています。大明リゾート辺山はフランス北部のノルマンディー海岸をモチーフに設計された異国の雰囲気漂うヨーロッパ風高級リゾートです。大明リゾート辺山には西海を眺めながら露天風呂を同時に楽しめる‘アクアワールド’があります。アクアワールドはリゾートの2階と地下1階に位置していて室内プールはもちろん、海のように波がくる野外プールやウォータースライダー、露天風呂、サウナなどの施設を完備しています。ここは美しい海岸線に沿ってさまざまな姿を見せてくれる辺山半島海岸の神秘的な風景と夕暮れ時の幻想的な日没の景色は絶景です。また、周辺には全羅北道記念物 第28号の彩石江があります。