華岩寺
 
忠清南道(礼山郡 ) ,
礼山の華岩寺は秋史・金正喜ゆかりの寺です。朝鮮時代末期の代表的な文人である秋史は礼山出身で、この寺院からあまり遠くないところに古色蒼然とした彼の生家、秋史古宅があります。オソク山の裾野に位置する華岩寺は、金正喜の祖父の父にあたる金漢藎が創建したものです。金漢藎は英祖王の娘婿であり、英祖王の次女で思悼世子の妹である和順翁主と結婚して月城尉を与えられ、金漢藎・和順翁主夫婦は死後、ヨン山の麓にあるエンム峰に合葬されています。生きているときに縁のあった寺とは死後もなお縁が続いています。 現在の華岩寺は寺院入口にこぎれいな寮舎棟があるため、近づいてもみても寺院のような感じがあまりしません。古建築の落ち着いた感じの寮舎棟を通り過ぎて初めて寺院に入ることができ、寺の中には秋史との縁を感じさせる様々な遺物が散在しています。この頃は尼僧の修道の場となっており、田舎の寺院らしくひっそりとした雰囲気です。

宝石寺
 
忠清南道(錦山郡 ) ,
錦山邑から約6kmほど離れた進楽山(732m)南東側の麓にある宝石寺は、866年(新羅時代BC 57~AD 935)に祖丘大師が創建した歴史あるお寺です。教宗(仏教で禅宗以外の宗派の総称)の総本山で韓国仏教31本山のひとつとして全羅北道の仏教の寺中樞機官であり、現在は忠清南道の教区傘下となりました。宝石寺という名前は、寺院の前にある山の中腹の岩石から金を掘り出し、仏像を鋳造したことから由来しています。寺院に入ると、鬱蒼とした森や岩石が透き通った小川の水と調和して、俗世を離れたような気分になります。寺院には大雄殿、騎虚堂、毅禅閣、山神閣などの建物と附属庵子があり、近隣には絶景の12瀑布(滝)があります。特に高さ40m、円周10.4mになる樹齢1100年を誇る銀杏の木(天然記念物第365号)があります。また200~300mほどのモミの木の道があり、ひっそりとした雰囲気の中散歩を楽しめます。

蓮花山道立公園
 
慶尚南道(固城郡 ) ,
太白山脈の最南端に位置する蓮花山(ヨンファサン)は景色が秀麗で見どころがたくさんあり、1983年に道立公園(トリプコンウォン)に指定されました。蓮花山という名前は山が蓮の花の形をしていることに由来しており、玉泉寺(オクチョンサ)、蓮台庵、白蓮庵、青蓮庵などの寺刹と文化財があります。中でも玉泉寺は676年に建立された華厳宗10代寺刹の1つで、年中を通じて一定の水量と水温を保つ玉泉があることでも有名です。マツタケとイチゴは蓮花山の特産物となっています。

チャンスプンデンイ村[スローシティ]
 
全羅南道(長興郡 ) ,
チャンスプンデンイ(カブトムシ)村は、長興(チャンフン)ダムの上流に位置する自然豊かな村で、シイタケ栽培を主な収入源としています。キノコ学習場、生態体験場、カブトムシ飼育場などの施設があり、子どもや青少年の教育の場としても活用されています。 農地面積:82.3ha 山林面積:31.5ha

チョンサ島盆栽公園
 
全羅南道(新安郡 ) ,
全羅南道新安郡押海邑にある「チョンサ島盆栽公園」。園内には、草花園や野生花園、薔薇園、湿地保護区域、自然池、盆栽園、森の教室などが完備されており、植物について、学習したり体験することができます。また、水遊び場や事務、多目的広場など、各種レジャー設備や便宜設備が併設されており、美しい自然を満喫しながら、ゆっくりと憩いのひと時を楽しむことができます。

涵碧楼
 
慶尚南道(陜川郡 ) ,
陜川八景のうち第五景である涵碧楼は高麗忠粛王8年(1321年)に陜州支軍金某(キム・モ)が創建し、数回にわたって修造されました。吹笛峰のふもとにあり、黄川と正陽湖を眺めることのできる美しい風景で多くの文人墨客が風流を楽しんだ場所で、退渓李滉(イ・ファン)、南冥曺植(チョ・シク)、尤庵宋時烈(ソン・シヨル)などの文字刻まれた扁額が楼閣内部のかけられています。岩壁に刻まれた「涵碧楼」の文字は宋時烈によるものです。

フィリ山海松自然休養林
 
忠清南道(舒川郡 ) ,
山全体が海松天然林で景観がすばらしく入口には貯水池もあり森林浴が楽しめます。登山路に沿って頂上まで登れば西海を望むことができ、また春長台海水浴場や錦江河口堤、韓山カラムシタウンなどの観光地も近くに位置しているため一緒に回ることができます。フィリ山は海抜329mで休養林の北西の方には4匹の大蛇が住んでいたと言われる場所があります。また、フィリ山で最も高いムンス峰の山の背に沿って戦士達が馬に乗り走っていた場所や馬の糞のような形をした馬糞岩があります。他にも大蛇が住んでいた4つの大きな峰の下に兵士たちが住んでいた小さな岩100個程があり兵士岩と呼ぶなど岩がいろいろな形をしており、ムンス峰に続く登山路の周辺にはたくさんの見所があります。休養林内にある森の中の家(32,000ウォン~150,000ウォン)、休養館(14,000ウォン~28,000ウォン)、修練場(402,000ウォン~550,000ウォン)、野営デッキ(4,000ウォン)などの利用をご希望の方は、前月1日に先着予約となっています。+82-41-953-9981 (韓国語)

三陟永慶墓
 
江原道(三陟市)
「永慶墓(ヨンギョンミョ)」は、朝鮮1代目王の太祖の5代祖の墓で、穆祖(太祖の高祖父)の母にあたる李氏の墓です。高宗光武3年(1899年)に同じく太祖の5代祖の墓である濬慶墓と共に修築され、祭閣と碑閣が建てられました。周辺には青々とした松林が広がっているため景観も美しく、毎年4月20日には全州李氏の一族らにより祭祀が執り行われます。濬慶墓はここから約4kmのところにあります。

全羅兵営城
 
全羅南道(康津郡 ) ,
全羅兵営城は全羅南道康津郡兵栄面城東里にあります。朝鮮時代の地方軍事組織で、壬辰倭乱と丁酉再乱当時、西南部地域の軍事本部として大きな役割を果たした場所です。1417年に造られた長さ約1,060mの城で南海地域に残っている兵営施設の中で一番保存状態が良いです。