長花里干潟
 
仁川(江華郡)
長花里(チャンファリ)の干潟は東幕(トンマク)海岸とつながっており、写真愛好家の間で美しい夕日が撮影できるスポットとして知られています。

木浦駅
 
全羅南道(木浦市 ) ,
木浦駅はKORAIL光州本部所属で全羅南道木浦市にある駅です。湖南線の発着駅で任城里駅の次にあります。1931年5月15日から運営を開始し、KTX、セマウル号、ムグンファ号が運行されており、旅客、貨物、乗車券の発売などの業務を行っています。

達基薬水湯
 
慶尚北道(青松郡 ) ,
青松邑から5分のところにある「達基薬水湯(タルギヤクスタン)」は、韓国3大薬水として知られています。周王山の達基瀑布から流れる渓谷に沿って約10ヶ所にある穴から水が湧き出ています。ここの薬水の特徴は、夏でも枯れることなく、冬でも凍ることなく1年を通して湧き出る水の量が一定だという点にあります。薬水の味は糖分を抜いた炭酸飲料のような味で、炭酸や鉄分などの各種ミネラル成分が多く含まれています。胃腸や皮膚の病気、および貧血に効果があるとされており、多くの人がここの薬水を求めてやって来ます。周辺には周王山国立公園がり、また薬水を利用したタッペクスク(鶏肉の水炊き)の専門店も多く並んでいます。

比珍島
 
慶尚南道(統営市 ) ,
閑山面に属している八字型の島です。山水がきれいで景観が素晴らしいだけではなく、海産物が豊富で宝に比することができるといって比珍島と名付けられました。比珍島の白眉とされるのは、内島と外島をつなぐ比珍海水浴場です。。西側の海岸線は細長い銀色の砂浜と穏やかな波が平和な感じを与えている一方で、東側の海辺は丸石に波が荒らい独特な地形の海水浴場です。 このような島の形のおかげで座ったまま東海の日の出と西海の日没をいっぺんに満喫できる所でもあります。海水浴場の周辺は美しい島が取り囲み、至るところに釣り場があって、海水浴と釣りを一緒に楽しめます。

将帥台
 
江原道(麟蹄郡)
元通から寒渓嶺の方に14km下ると松の木林の間に韓屋山荘(48坪)である将帥台(ジャンスデ)があります。滝の水が寒渓川に流れ込む所に建っています。もともとは紫陽田でした。呉徳俊将軍が韓国戦争当時に犠牲になった将兵らの冥福を祈る意を込め、国軍勇士が1959年10月に韓屋山荘を立て将帥台と名づけました。鷺山・李殷相(1903-1982)はここで戦争の深い悲しみを詩に読んでいます。道の反対側には将帥台切符売り場があり、大勝瀑布と大勝嶺に上がる山行の出発地点になります。将帥台周辺には大勝瀑布と、この滝で遊んだ玉仙女が大ムカデに追われて来た所という玉女湯があります。また、寒渓山城、ハヌル壁を訪ねる観光客の休息処になっています。この山荘は100余人が収容できる規模で山荘にしては大きい方です。大将台で寒渓川を渡ると上に見える高い峰が加里山(1519m)です。チュゴク峰、三兄弟峰とともに峰を成しています。

国立天冠山自然休養林
 
全羅南道(長興郡 ) ,
湖南5大名山の一つである天冠山は冠山邑と大徳邑の境界にある標高723mの山。山全体が岩でできており、峰が天を突き刺すよう鋭く伸びているのが特徴です。春には椿が赤く咲き、秋にはすすきが壮観を演出。特に頂上付近の岩が付き刺さる様子が、珠玉で飾った天子の冕旒冠のようであるため天冠山と命名されました。 海岸近くは山脈に沿って海風が吹き、人の力では不可能な自然のダイナミックさが伺えます。山頂からは、南海岸多島海が東洋画のように一望でき、北を向くと霊岩の月出山、長興の帝岩山、光州の無等山が見渡せます。天気が良いと地平線に神秘的な済州島の漢拏山が浮かび上がります。峰と峰を結ぶ線上には、まるで自然造形物の展示のように奇岩怪石が並び、頂上付近には5万坪余りのすすき畑が広がっています。冠山寺が天冠山の登山路と繋がっているため、文化遺跡探査や登山などに最適です。休養林内には管理棟、ロッジ、駐車場、炊事場、林間学校などが併設され、周りにはきれいに整備された7kmの散策路が続いています。

清平自然休養林
 
京畿道(加平郡) ,
清平湖が見渡せる清平自然休養林は、自然の恵みいっぱいの大自然体験空間です。都市の雑踏から離れ、自然生態体験と同時に森林浴を楽しめるところとして人気です。 松の木、チョウセンマツ、クヌギの間に見える青く美しい清平湖と、秋の紅葉など季節によって美しく彩られます。流れる清平湖の水の音と、鳥の鳴き声は大自然を満喫することができます。 休養林は宿泊が可能な山林休養館5棟と友人や恋人のためのメイフラワー2棟があり、展望台、ピクニック場、プール、森の中のカフェ、芝生の庭、講堂などの施設を備えています。 ソウル近郊に位置しており、誰でも気軽に訪れることができます。

寒渓嶺
 
江原道(襄陽郡) ,
寒渓嶺(ハンゲリョン)は、弥矢嶺、陳富嶺とともに雪嶽山を代表する三嶺の一つとして昔は「小さな嶺」と呼ばれていました。「大きな嶺」の彌矢嶺とともにに嶺東と嶺西を分けるする分水嶺となっています。昔は所東羅嶺と呼ばれ、東海岸地域と内陸地方をつなぐ交通の要所になっていました。1971年12月に襄陽と麟蹄を結ぶ広い舗装道路が開通し、内雪嶽と外雪嶽の観光道路になりました。 寒渓嶺道を降りて行けば五色地区です。五色ではすべてのものが五つです。岩盤から炭酸水が湧く五色薬水も味が五つといわれます。宝物第497号三層石塔が残っている城国寺の昔の名前は、石までも五色の光りを放つという意味で五色石寺だったといいます。五色という村の名前も、五つの花が咲く木があったという五色花伝説からついたものです。