李應魯美術館
 
大田広域市(西区) ,
屯山大公園 大田市立美術館横の小さくこじんまりした白い建物の周りの松が調和して山中の小さな家のような<李應魯美術館>が、2007年5月にオープンしました。李應魯美術館は、この地域に残る韓国的伝統の現代化と世界化のために一生をかけた「世界的作家、顧菴李應魯画伯(1904~1989)」の芸術世界を建築物として昇華させようとフランス建築家のローラン・ボードエン(Laurent Beaudouin)が設計し、つくりました。 美術館の展示室は4つの空間が確保しながらもひとつの単一空間として感じて、神秘感を持ち、李應魯画伯の初期作品から晩年まで生涯の作品を一ヶ所で鑑賞できます。顧菴の作品世界が東洋と西洋の出会いであったように李應魯美術館の建築物や韓国作家・李應魯とフランス建築家ローラン・ボードエンの出会いが醸す調和という点がとても興味深いものです。これに続き、2010年3月、 礼山にある修徳寺に李應魯画伯の美術世界を継ぎ足され、韓国初の仏教専門美術館である「修徳寺 禅美術館」がオープンし、李應魯画伯が幼少過ごした忠清南道洪城郡洪北面中溪里一帯に記念館の建立や生家復元など一生と芸術世界を研究して全世界に広めています。

錠博物館
 
ソウル(鍾路区)
錠博物館の「錠」は、鍵を意味する錠です。生涯を鍵屋の店員として過ごした後、江南に「チェガ鍵屋」を開いたチェ・ホンギュ氏が全財産をかけて建てた博物館で2003年11月に開館しました。韓国の昔の鍵や、世界各国の珍しい鍵をテーマとした博物館で、消え去りつつある韓国様々な鍵を収集、保存、研究し、一般に展示することで韓国の鍵の美と、優秀性を知ってもらうことが目的です。錠博物館は、鍵に関する新しい見方を一般の人々に伝え、疎通するコミュニケーションの場になり、また観覧する人自らが鍵に関する文化的意味と美学的意味を理解・学習できる機会を提供しています。

洪陵樹木園
 
ソウル(東大門区)
洪陵樹木園(ホンヌンスモグォン)は、1922年にソウルの洪陵に林業試験場が設立されたときに造成された韓国初の樹木園です。朝鮮王朝高宗の王妃である明成皇后の陵「洪陵(ホンヌン)」があったため、洪陵樹木園と呼ばれるようになりました。今は陵は移葬され、その跡だけが表示されています。洪陵樹木園は国立山林科学研究院付属の専門樹木園であり、国内外の様々な植物や遺伝資源を体系的に収集・管理し、基礎植物の学問分野の発展や、植物遺伝資源の確保のために造成された試験研究林です。

パラダイスゴールデンゲート 韓国カジノ
 
仁川(中区)
ゴールデンゲートカジノは外国人専用で、仁川国際空港から2分のところにある「ハイアットリージェンシー仁川」内にあります。カジノ内は特別な空調システムによって森林浴効果が得られるようになっており、爽快な気分でブラックジャックやバカラ、ルーレット、ポーカー、タイサイ、スロットマシーンなど、様々なゲームが楽しめます。

天帝淵瀑布
 
済州道(西帰浦市)
「神の蓮池」という意味を持つ天帝淵(チョンジェヨン)は、3段の滝からなっています。天帝淵瀑布の周辺の林には松葉蘭などの珍しい植物が自生しています。第1瀑布(高さ22メートル、水深21メートル)から流れ落ちる東側の岩洞窟の天井からは冷たい水が流れ出していますが、現在は水泳が禁止されています。瀑布から流れ出る水は第2瀑布、第3瀑布になり海に流れ込んでいます。天帝淵渓谷には「仙臨僑(七人の仙女を彫刻したアーチ型の橋)」と「天帝楼」と呼ばれる8角の楼閣が建てられています。七仙女と呼ばれる仙臨僑は天帝淵と中文観光団地に続く橋で128メートルにもなります。天帝楼の外壁には天帝淵の伝説がこめられた仙女図と神仙図が描かれています。毎年、偶数年の5月には、七仙女祭りが開かれています。

白南準アートセンター
 
京畿道(竜仁市)
白南準アートセンターは、白南準の精神的遺産を引き継ぎ、近代的な時空間の概念と物理的概念から離脱し、メディア時代の情報と疎通に対する新しい媒体創造の可能性を広げ、美学的・倫理的・政治的観点から新しい文化参与空間をつくることを目的としています。特定の目的に美術行為を準拠または喚起するのではなく、人間存在の非自由性、非自発性に対する省察を導き、非効果的・創造的消費を増大させ、自由ための自由の行為空間を全地球的に拡散させてゆく文化媒体空間を志向しています。

草堂スンドゥブ村
 
江原道(江陵市)
鏡浦海水浴場からで南に少し下れば韓国で「スンドゥブ」と言われる柔らかい豆腐で有名な草堂(チョダン)スンドゥブ村があります。江陵名物のこのスンドゥブは、東海岸の海のにがりを使って固めたもので、とても柔らかくて香ばしいのが特徴です。この村の名前である草堂とは韓国の有名な小説家と同時に詩人でもあったホ・ギュン( 許筠 1569 - 1618)とその姉である有名な女流詩人ホ・ナンソルホン(許蘭雪軒、1563 - 1589)の父ホ・ヨプ(許曄、1517 – 1580)の号(本名を呼ぶことを避ける風習により作られた別の呼び名)を取って付けられた名前。現在この村には彼らが住んだ家の跡地が残っています。<食べ方>ゼリーのような状態のスンドゥブが大きい器に盛られて出てきたら醤油をお好みでつけて食べます。

国債報償運動記念公園
 
大邱広域市(中区) ,
過去を通して未来を学ぶ国債報償運動記念公園(旧東仁公園) 1907年、大邱から始まった国債報償運動の市民精神を記念して第2の国債報償運動の展開でIMF経済難の克服と都心地内の緑地空間の確保及び市民の安楽した休憩空間の提供のため名称を「国債報償運動記念公園」と定めて1998年3月から1999年12月まで中区東仁洞に建てられた公園です。 国債報償運動の崇高な精神を称えて多くの市民達に休憩空間を提供するために作られた国債報償運動記念公園は42,509㎡(12,859坪)の面積に達句伐の大鐘、鐘楼などがあります。公園内の達句伐の大鐘は郷土の霊と情緒が込められた清く明るい音が響き、万人の心を呼び起こし、和合と繁栄を念願する大邱市民の志を全世界に広めようと1998年12月22日、東仁洞国債報償運動記念公園内に建造、設置されました。 大韓帝国末期に起きた抗日独立運動のひとつである国債報償運動記念公園の救国精神を継承するために作られたこの公園は中央図書館と東仁駐車場の間に広がっています。この場所は22.5tの達句伐の大鐘を始めとして、郷土書道家達の書いた李陸史・朴木月・趙芝薰・李鎬雨・尹東柱の詩碑と大型映像施設、李彦迪・金宏弼・徐居正・李滉・鄭夢周・徐相日・徐相敦の名言碑がある道、爽やかに噴出す噴水、和合の広場などがあります。 地下3階規模の東仁地下駐車場があって市民達の駐車空間を確保し、中央図書館もあり多くの青少年達が集まります。市内が近くカップル達にもデートコースとしても人気があります。一番最近作られた公園で広い芝生広場と周囲に千余りの樹木が植えられていて、ベンチも多く設置されて休憩するにはとてもよい場所です。また爽やかに噴出している噴水や小亭、田舎の山川や木々を連想させる石造物などが情緒をかもし出しています。青少年広場、音楽会、展示会などが開催され、達句伐の大鐘を打つ儀式を毎週土・日曜日に行われていて、多くの観光客が公園を訪れます。 国債報償運動記念公園の見所255mの高さの大きなクヌギ、静寂な道と松林、噴水と小亭、芝生広場、郷土出身の市民達の詩碑が立てられている道、先賢達の名言碑で飾られている名言巡礼の道などがあります。横9m、縦6m規模の大型電光掲示板を通して各種生活情報とプログラム中継などを見ることができます。公園の至る所に松の木、ヒトツバタゴ、山桜など30種、1万2300種類余りの植物、ワスレグサ・すずらんなど5種3万本余りの花々が植えられています。また重さ22.5tの達句伐の大鐘があり、毎年ここで「除夜の鐘」を打つ行事を挙行しています。大邱市民の都心の中の休憩空間として利用されていて各種展示会や公演場としても活用されています。

西大門刑務所歴史館
 
ソウル(西大門区)
西大門刑務所歴史館(ソデムンヒョンムソ・ヨクサグァン)は西大門独立公園内にある博物館。大韓帝国(1987~1910)末期に建てられた日帝強占期の代表的な弾圧機関として、数多くの韓国独立烈士たちがこの監獄に閉じ込められ拷問を受け死んだという歴史のある場所です。この博物館はこの歴史を再考し韓国民族の歩んできた歴史を称えるために建てられており、3・1独立運動直後、柳寬順烈士が監禁され死亡した地下監獄や監視塔、拷問室、死刑場、7棟の監獄、歴史展示館等がある他、1階の「追慕の場」では映像システムを通して設立背景や歴史的過程など西大門刑務所の歴史を見ることができます。また2階の「歴史の場」では民族抵抗室や刑務所歴史室、獄中生活室などが、地下1階の「体験の場」では臨時拘禁室と拷問室があり、その拷問の様子も再現されています。また公園内には史跡第32号である独立門と史跡第33号の迎恩門柱礎をはじめ、独立館と殉国先烈追念塔、3・1独立宣言記念塔などもあり、ゆっくりと時間をとって見て回りたい所。歴史と韓国民の民族精神について改めて考えてみるよい機会となるでしょう。

ソウル 梨花荘
 
ソウル(鍾路区) ,
梨花荘(イファジャン)は1945年の独立後、韓国の初代大統領である李承晩が、アメリカから帰国後、大韓民国政府樹立運動を行いながら暮らしていた伝統家屋。1988年、「大韓民国建国大統領李承晩博士記念館」として開館し、歴史資料や日常で使用していた家具や遺品などが展示されています。李承晩大統領は初代大統領に就任した後には他の場所に住まいを移しましたが、時々この家屋にやって来て庭園と裏山での散策を楽しんだと言われています。また、大統領職を退いた後もアメリカに亡命するまでの間の住まいとしており、前大統領の生活ぶりをうかがうことができます。ここには母屋のほか組閣堂などの別棟もありますが、造り自体は非常に簡素なもの。組閣堂も非常に小さな建物ですが、初代内閣を組織した歴史的な建築物です。その当時に使っていた敷物や木の椅子なども見ることができます。