文来芸術工場(문래예술공장)
 
ソウル(永登浦区) ,
ソウル特別市創作空間・文来(ムルレ)芸術工場は、自然発生的に生まれた芸術村・文来創作村にある、国内外のアーティストのための創作支援センターで、2010年1月28日に開館しました。 文来芸術工場は文来洞鉄工所通りのひと昔前まで昔の鉄材を取り扱っていた専門街の一角に専門創作スペースとして新たに建設られました。 共同作業室、多目的発表場をはじめ、レコーディング室、セミナー室など創作発表活動のための様々な支援施設を兼ね備えています。

漆谷護国平和記念館(칠곡호국평화기념관)
 
慶尚北道(漆谷郡 ) ,
漆谷護国平和記念館(チルゴクホグクピョンファキニョムグァン)は6・25戦争(朝鮮戦争)中に起きた幾多の戦闘のうち、55日間の洛東江防御線戦闘により形勢逆転し、大韓民国を守り抜いた、その洛東江防御線戦闘における最大激戦地である漆谷に位置した記念館です。地上4階・地下2階の建物と広い屋外記念館にさまざまな記録や遺物が展示されており、リアルに作られたジオラマと体験施設を通じて護国・安保の意識と愛国の精神を涵養する護国平和体験の空間となっています。 開館日 2015年10月15日

華川 碑木公園(화천 비목공원)
 
江原道(華川郡) ,
「碑木公園(ピモクコンウォン)」は、平和のダム周辺に造られた公園で、6.25戦争(朝鮮戦争)の痛みと、犠牲になった若い無名の勇士たちの魂を称える場所であると同時に、国民歌曲「碑木」誕生の地でもあります。作詞家ハン・ミョンヒは1960年代中頃、平和のダムから北に14キロメートル離れた百巌山渓谷非武装地帯で軍生活を送っていました。ある日偶然、雑草の生い茂る場所で無名の勇士のさびた鉄兜と石の墓を見つけ、その墓の主が戦争当時、自分と同じくらいの若さだっただろう想いながら作詞をし、作曲家チャン・イルナムがこの歌詞に曲を付けて「碑木」が誕生しました。この曲は1970年代中盤から知られはじめ、今でも広く愛されています。

楸子島オルレ(추자도 올레)
 
済州道(済州市 ) ,
楸子島はひとつの島ではあれいません。人の住む4つの島と8つの無人島が楸子島と呼ばれています。楸子島のふたつの島、上楸子と下楸子の山を越えていく済州オルレのでは楸子島の秘境を見ることができます。

錦山 七百義塚(금산 칠백의총)
 
忠清南道(錦山郡 ) ,
この場所は、壬辰倭乱(文禄の役)の際に、日本軍との戦いで戦士した趙憲先生と霊圭大師率いた義兵700人のお墓がある場所です。壬辰倭乱(文禄の役)が起きてすぐ、趙憲先生は義兵を起こし、宣祖25年8月1日、霊圭大師と共に清州城を修復し、18日には湖南の巡察士であった権慄将軍率いる官軍と共に錦山の敵に攻撃を仕掛ける約束をしました。しかし、権慄将軍は、敵の情勢から、作戦を変更し、出兵の日を遅らすという手紙を書きましたが、これが趙憲らに届きませんでした。作戦が変わったことを知らずに出兵した義兵の部隊は、血戦の末ついに全員戦士しました。趙憲先生の弟子朴廷亮と全承業がその4日後、700人の遺骸を1つのお墓に埋葬し、七百義塚と名づけました。 その後、宣祖36年(1603年)に[重峯趙憲先生一軍殉義碑]が建てられ、仁祖25年(1647年)には祠が建てられ、七百義士の位牌が祀られました。 *文化財庁主管で毎年9月23日午後3時から慰霊祭が行われます。(七百義塚管理事務所主催) *主要所蔵文化財 1)宝物第1007号(6種7点):朝天日記、祭文2点、宣祖大王教書、 重峯先生教旨、箭筒(矢筒)、(趙憲義兵長除授教書)趙憲文廟配享教旨 2)その他の遺物(8点):重峯全集、抗義新編、木刻版、尋源録、正気録、馬上激文、槍、世篤忠貞、霽峰文集

KOREA COUNTRY CLUB(코리아 골프장)
 
京畿道(竜仁市) ,
Korea Golf & Art Village内のKOREA COUNTRY CLUB(コリアカントリークラブ/コリアゴルフ場)は、ソウル江南から30~40分という好立地以外にも夜間の照明施設および電磁誘導式5人乗りカートなど、最上の施設とカスタマサービスを誇る名門ゴルフクラブとして人気です。また、9ホールの増設によって、さらに良いサービスを提供できるようになりました。コースはアップダウンがほとんどありませんが、中央には大きな池があり、4つのホールがアイランドグリーンとなっています。その他、各ホールには特定の樹木が植えられており、それぞれに個性を持たせています。また、各種プロ・アマゴルフ大会を誘致し、常に最高のフィールドコンディションを維持するために徹底したコース管理をおこなっています。

ソウル大学校病院 医学博物館(서울대학교병원 의학박물관)
 
ソウル(鍾路区) ,
1992年に開館したソウル大学校病院医学博物館は1999年常設展示館としてリニューアルオープンし、2001年には体験展示室を増設、医学専門博物館として広く知られるようになりました。 2007年には大韓医院設立100周年を迎え、史跡第248号に指定された旧大韓医院本館(時計台のある建物)2階全体を新たに改装しました。(大韓医院は1910年に朝鮮総督府医院、1928年に京城帝国大学医学部附属医院、1945年の光復以降にソウル大学校附属病院と改称され現在に至っています) 本博物館は近代医学導入以降の各種文書及び医療機器など約1,000点、韓国近代医学史料約8,000冊を所蔵している医学専門博物館です。韓国の近代医学の発達や医療機器の変遷、そしてソウル大学校病院の変遷について歴史的価値のあるさまざまな関係史料を展示しており、また関係資料の収集以外にも展示・保存・教育及び関連情報提供など包括的かつ体系的に行なっている機関でもあります。 21世紀の最先端医療機関を標榜するソウル大学病院。その名にふさわしい医療博物館となるよう精進してまいります。

丹陽 舎人岩(단양 사인암)
 
忠清北道(丹陽郡 ) ,
大崗面舎人岩里にある舎人岩は丹陽八景のひとつです。丹陽の南側の南朝川辺の青く深い渓流にある高さ70mの奇岩絶壁です。丹陽八景を訪問する観光客の大部分はどうろ条件により、舎人岩を一番最初に訪れる場合が多く、舎人岩の前に流れる渓谷を雲岩九曲といい、丹陽八景の中でも一番美しいと言われています。舎人岩という名称の由来は高麗時代の儒学者である易東と禹倬の行跡によって付けられた名前です。

文献書院(문헌서원)
 
忠清南道(舒川郡 ) ,
文献書院は儒学者の 李穀(イ・ゴク)と李穡(イ・セク)の二人の徳を祀るために1594年に建てられました。 文禄・慶長の役の際に消失しましたが、1610年に再建され、翌年の1611年には 李鍾学(イ・ジョンハク)、李耔(イ・ジャ)、李塏(イ・ゲ)の3人も追加で祀られることとなりました。その後は先人の知恵を伝えながら地方教育の一翼を担ってきましたが1871年の書院撤廃令により廃止されました。そして1969年、地方の儒学者が復元し李種徳(イ・ジョンドク)が追加で祀られることになり、現在に至ります。書院内の建物には3間の祠堂、2階の楼閣からなる6間の講堂、4間の進修堂、3間の牧隱影堂、5間の斎室、3間の典祀庁、3間の守護舍、內三門、外三門などがあります。

鳥安(スローシティ)(조안 [슬로시티])
 
京畿道(南楊州市) ,
鳥安(チョアン)は2010年11月に首都圏で初めてスローシティとなった場所です。八堂から楊平から大成里みに続く南漢江沿いに自転車道路があります。また、雲吉山駅から馬鎮山城、水鍾寺、松村独立公園を過ぎてスローシティ文化館を見るコースがあります。鳥安面には12の村があり、有機農で栽培されたイチゴや梨、稲と萩で作られ工芸品が特産物として有名です。