昌原市立鎮海博物館(창원시립진해박물관)
 
慶尚南道(昌原市 ) ,
1998年10月31日に開館した鎮海(チネ)市立博物館は帝皇山(チェファンサン)公園内の鎮海塔1階・2階に展示室、事務室、視聴覚室、遺物倉庫、展望などの施設を持つ博物館です。展示室には鎮海市の沿革、新石器・青銅器・三韓・三国時代の遺物、朝鮮時代の陶窯址の模型、鎮海の漁業の様子を再現した展示、駕洛国・首露王と王妃の人形、亀甲船模型、熊川邑城の模型などが展示されており、鎮海の遺跡に関するビデオもご覧頂けます。 また鎮海市全体を縮尺したジオラマ模型とともに鎮海の歴史年代や時代別に鎮海の歴史をモニターで確認することもできます。鎮海の過去と現在を知ることができる鎮海博物館には数多くの観光客が訪れています。

突山大橋(돌산대교)
 
全羅南道(麗水市 ) ,
夜の帳が下りると、およそ50パターンの光できらびやかな姿に変身する斜張橋・突山大橋(トルサンテギョ)は、麗水(ヨス)の市街地の目の前の海に浮かぶ突山島(トルサンド)と市内中心部の陸地を結ぶ、地元・突山を象徴する連陸橋(離島架橋)です。 麗水の港と突山島の間に浮かぶ小島で国内唯一の水中の城と呼ばれる将軍島(チャングンド)は、その昔、倭寇の侵略に備え、1497年、全羅左道(チョルラチャド=現在の全羅南道[チョルラナムド])の水軍のトップ・節度使に任命された李良(イ・ヤン)が波の強いこの島に石を積み城郭を築きました。 倭敵、盗賊は強固な城郭が築かれたこの島に敢えて手を出すことがなかったことから、将軍島と呼ばれるようになりました。 突山島と将軍島の間は干満の差が激しい大潮の時期には、歩いて対岸に渡ることができ、現在はあまり多く残っていませんが、人が加工したと思われる痕跡が大きな石に残っており、古の将軍島の姿を思い描くことができます。 いまでは、美しい光があふれ、麗水港(ヨスハン)の海原とあいまり異国情緒あふれる光景となっており、数多くの観光客が訪れる場所となっています。 突山島の高台となった突山公園から眺める突山大橋や将軍島の夜景は、光のページェントと美しい海原があいまり最高の景色となっています。 およそ1万5000人の住民が住む突山島(トルサンド)は、麗水市内と目と鼻の先ほどの距離にありますが、海に阻まれた島という地理的条件のため、長らく日常の生活や通学には毎日船を使わざるを得ない不便さがありました。 このような状況を解消するため、突山島と陸地を結ぶ橋を建設することに至り、1980年に橋の建設工事を開始、1984年12月15日に突山大橋が完成しました。 1984年の竣工時に行われた突山大橋竣工記念式は、現職の大統領まで参加する大きな行事となりました。 突山大橋の完成とともに、突山島側の橋の近くには突山公園が造られ、突山島にあるムスルモク海水浴場、冬柏(トンベク)海水浴場をはじめ、日の出・参拝の名所で落ち着いた雰囲気のある寺・向日庵(ヒャンイルアム)などもあり、麗水を代表する観光コースとなっています。 道路が陸地とつながり、地元・突山地域で栽培される農産物の流通も活発となり、突山名物のからし菜・突山カッは、からし菜キムチ・カッキムチの代名詞にもなっています。 突山大橋には2000年10月、八つのプログラムで繰り広げられるおよそ50パターンの色とりどりの光の演出が可能なライトアップ施設を設置、訪れる人々にきれいな夜景をプレゼントしています。

始興 烏耳島遺跡(시흥 오이도 유적)
 
京畿道(始興市) ,
烏耳島(オイド)は、元々、京畿道(キョンギド)始興市(シフンシ)の陸地から4km離れた沖に浮かぶ南北に長い島でしたが、1932年に干潟を塩田開発したことで陸続きとなり、1980年代末に始華(シファ)工業団地が造成されてからは、完全に埋立てられました。 近くには観光スポットとしても有名な済扶島(チェブド)、大阜島(テブド)、蘇莱浦口(ソレポグ)などがあります。 烏耳島遺跡は烏耳島の小高い山頂を中心にその麓付近に分布しています。烏耳島にある軍の駐屯地内でも数多くの貝塚の痕跡があり、また駐屯地内の山頂付近には仁川(インチョン)と狼煙のやりとりを行った烽燧台(狼煙台)も残っています。 この他、烏耳島には多数の貝塚も発見され、烏耳島全体に遺跡が点在していることが分かりました。新石器時代から統一新羅時代に至るまで人々が暮らしを営んでいたことが確認されている烏耳島。発掘された住居跡、オンドルの遺構などから出土した土器のかけら、石器、 漁網の重りなどは、韓国の沿岸地域の人々の当時の生活ぶりや、韓半島の西に広がる西海(ソヘ)沿岸の文化を研究する上で貴重な資料となっています。 烏耳島遺跡は韓国の西海沿岸の島しょ地域を代表する遺跡で、中でも統一新羅時代の住居跡は烏耳島地域で初めて発見されたもので、当時の居住形態やオンドルの発展過程を理解する上で、大変学術価値が高いものと評価されています。 <出典:文化財庁国家文化遺産ポータルサイト>

KBS蔚山ホール(KBS 울산홀)
 
蔚山広域市(南区) ,
KBS蔚山ホールは蔚山広域市南区に位置し、コンサート、文化芸術祭、放送プログラム制作、博覧会、展示会、講演会、体育及び一般イベントなどを行なっています。およそ2,000人収容のKBS文化ホールをはじめ、便利な駐車スペース、最新の音響施設も兼ね備えています。 またKBS蔚山ホールでは蔚山市民がさまざまな文化に触れられるよう、KBS蔚山自ら映画上映も行なっており、蔚山ホールで実施しているバドミントンは地域住民の生活スポーツとして根付いています。

巨済シーワールド(거제씨월드)
 
慶尚南道(巨濟市 ) ,
慶尚南道(キョンサンナムド)巨済市(コジェシ)知世浦(チセポ)の造船海洋文化館前にある韓国最大のイルカ体験パーク・巨済シーワールドは、1万1400トンの体験水槽6つや生態説明会場などの設備を兼ね備える、既存の観覧型水族館とは一味違う巨済市を代表する体験観光スポットです。 イルカと共にする韓国唯一の水中散歩プログラム「シーレック」、イルカと一緒に泳ぐ「ドルフィンスイム」、水の中に入りベルーガ、イルカと戯れる「エンカウンター」など各種体験プログラムがあるほか、様々な融・複合海洋教育が可能な施設が整っています。

明日の奇跡の音(내일의 기적소리)
 
京畿道(坡州市 ) ,
スカイウォーク「明日の奇跡の音」は韓国分断の歴史的シンボルで臨津江(イムジンガン)に架かっていた京義線の複線の鉄橋「トッケタリ」の片側を復元し作ったものです。6・25戦争(韓国戦争・1950-1953)時の爆撃によって鉄橋は破壊されましたが、片一方は後に道路橋として改修され捕虜交換の際や板門店へ繋がる橋として利用された「自由の橋」(現在は再び鉄道の鉄橋として利用)、そしてもう一方の破壊された鉄橋の残った5つの鉄橋の橋脚を基礎に長さ105m、幅5mの戦争前の鉄橋の一部を再現しました。2層構造で過去と現在、未来のエリアに分けて構成されています。民間人統制線(民統線)内に位置していますが、特段の許可なしに出入りすることができる唯一の施設です。

白翎島クッソム展望台(백령도 끝섬전망대)
 
仁川(甕津郡) ,
西海(ソヘ)最北端の島・白翎島(ペンニョンド)の龍機院山(ヨンギウォンサン)にある国土クッソム(最果ての島)展望台。この展望台からは双眼鏡で北韓国の島々や陸地を眺めることができます。また山の頂にあることから、左手には新港や沙串(サゴッツ)海岸、右手にはハニ海岸など白翎島の隅々までよく見えます。

三養牧場(삼양목장)
 
江原道(平昌郡) ,
* およそ2000ヘクタール、韓国国内最大の有機草地牧場 * 牛を自社で飼育し消費者にタンパク質豊富な原材料を供給する目的で、1972年から草地を開墾し作られた三養(サミャン)牧場。 ここ三養牧場の自然の中で健康的に育った牛から搾乳した原乳などは、系列の大手食品メーカー・三養食品に供給されています。 三養牧場は、2007年観光客の方々にも門戸を開き観光事業を開始、おそよ2000ヘクタール(約600万坪)の緑の草原に数多くの動物たちを放牧しています。牧場の丘の上にはすっと天に聳える風力発電の鉄塔があり、風の強い大関嶺(テグァルリョン)地域の風を利用し発電する環境にやさしいエネルギー供給源となっており、韓国国内では最大規模を誇ります。 三養牧場ではすばらしい自然景観とともに、 羊飼い公演、子牛ミルクやり体験、羊・ダチョウ餌付け体験など、さまざまな見どころや体験プログラムをお楽しみいただけます。

太宗台展望台(태종대 전망대)
 
釜山広域市(影島区) ,
太宗台(テジョンデ)沖のはるか向こうの水平線がかすかに見える循環道路の西南の端近くにある太宗台展望台があります。 1999年8月再建された現在の建物はおよそ1,700平方メートル(地上3階・地下1階)の規模を誇る展望台やレストラン、売店などの各種施設があります。天気のよい日には対馬の島影を見ることもできます。

桃京里駅(三陟)(도경리역(삼척))
 
江原道(三陟市) ,
桃京里駅は日帝強占期に建設された典型的な小さな駅です。 駅舎は鉄道の線路と並行に建てられその上に屋根が取り付けられていますが、駅前広場のある駅舎入口正面側から見ると駅舎の右寄りの場所に桃京里駅の出入口がありその上部に建物と直交する形で切妻屋根が取り付けられています。 駅舎の屋根と出入口の上の直交した切妻屋根はほぼ同じ高さに取り付けられています。駅舎出入口の右外側には雨よけのひさしが取り付けられ、駅舎を囲むように線路側の方へひさしが乗降客用に延び、その端にプラットホームで列車を乗降する人が出入りする待合室出入口の両開きのガラス戸が設置されています。 外壁は現在はモルタル造であることが確認できますが、竣工当時、元々モルタルであったのかどうかは不明です。 また駅舎の屋根に使用されている屋根瓦は日本様式のものそのものです。 駅舎の線路側の方もさまざまな特徴があります。 駅前広場側の入口同様、線路側の方にも駅舎のメインの屋根と直交する形で切妻屋根が作られている部分があり、その部分は駅舎の建物から線路側に少し張り出す形で作られ駅を行き交う列車がよく見えるよう駅務室が設置されています。また雨よけのひさしは駅舎右側からぐるっと線路側のこの駅務室の横まで続いています。 この駅の特徴的なのは、建物のメインの屋根と直交する広場側の入口上の切妻屋根が建物右側に、同じように建物のメインの屋根と直交する線路側に突出した駅務室がある上部の切妻屋根が建物やや左側にあるというように、切妻屋根がメインの建物に対して十字の形で直交して作られる他の駅とは違う構造となっている点です。 ※竣工年度 1939年5月15日