小さな中央家族博物館(韓方個人博物館)(
 
大邱広域市(中区) ,
大邱薬令市で3代、約90年にわたって韓薬一筋で祖父の時代から受け継いで使っている秤、鉢、医学書の模本、処方箋などを展示していて、訪問客に中央韓薬房(韓方薬局)で直接製造した健康に良い韓方薬のお茶をプレゼントしています。国内外の訪問客にとって、韓薬の歴史、家系の由来、韓方に対する精神などをのぞくことができる場所です。また、2代目院長に無料で健康相談を受けることができます。 * オープン日 2011年4月25日

禅雲山道立公園
 
全羅北道(高敞郡 ) ,
禅雲山(ソヌンサン)では、椿や桜の花、涼しげな渓谷、鬱蒼と生い茂る森、色とりどりの紅葉、荒々しい断崖絶壁、白い雪に覆われた風景など、四季を通して美しい景色が見られます。禅雲山には1500年の歴史を持つ禅雲寺もあります。

梨花ウェルカムセンター
 
ソウル(西大門区)
梨花ウェルカムセンターは2013年韓国の大学初の大学グローバル広報館であり総合訪問者センターで、案内デスクと展示ラウンジ、記念品店があります。案内デスクでは訪問客が梨花女子大学のキャンパスの情報や、大学の情報を知ることが出来ます。また、展示ラウンジでは梨花女子大学の歴史と伝統、今日と明日を一目で見ることの出来る常設展示があります。記念品店では梨花女子大学訪問者のための様々な記念品が販売されています。この他にも、外国人訪問客のためのキャンパスツアーが英語と中国語で行われています。

金寧迷路公園
 
済州道(済州市 )
済州道済州市の名所「万丈窟」と「金寧蛇窟」との間に済州金寧迷路公園があります。木々の間に小道が設けてあり、一度入り込むと方向感覚を失って出口が分からなくなります。済州道に27年間住んでいるアメリカ人のFredrric H.Dustinさんが一生をかけて貯めた財産1億2千万ウォンあまりを費やし、世界的に有名な迷路デザイナーAdrian Flsher Minotaur Maze Designsにデザインを依頼し、その設計を基に1987年から自ら木を植えてつくり上げたものです。迷路の幅は1m前後なので車イスやベビーカーでも通ることができ、平坦な道なので移動は楽ですが、舗装されていないため、その点では多少不便を感じることもあります。それでも観覧しやすい方なので、車イスや年配の観光客に人気があります。

懿陵[ユネスコ世界文化遺産]
 
ソウル(城北区)
懿陵(ウィルン)は朝鮮20代王・景宗(1688-1724、在位 1720-1724)とその継妃、宣懿王后(1705-1730)の陵です。 景宗は粛宗と禧嬪張氏の長男で、幼いころから身体が弱く王位について4年後に治績(政治的な業績)を残せないままこの世を去りました。宣懿王后は1718年に皇太子の妻となり、1720年に景宗が即位すると王妃となりました。記録によると彼女は全ての事柄に慎重で温和な性格だったと言われています。一般的に双陵は左右に造られますが、懿陵は王と王妃の墓を前後に配置した陵です。このような配置形式には風水地理的な理由があり、自然の地形を破壊せずに陵を造ろうとする韓国民俗の自然観が現れています。

平昌 大関嶺 風の村
 
江原道(平昌郡)
大関嶺平昌郡道岩面横渓2里にある風の村 ウィヤジは、海抜750~800mの大関嶺の頂上部分に位置しています。いち早く雪が降ることからスキーの発祥地でもあります。草原で草を食べる羊たちの姿は国内でもそう簡単には目にすることができない光景です。サミャン牧場とハニル牧場がある大関嶺のふもとには国内最大の草地が広がり、そこを通る風を利用した風力発電団地もあります。高地にあることから国内の高冷地農業の始まりの地でもあり、ジャガイモ、白菜、ニンジン、玉ねぎなどが特産品です。

望遠高水敷地
 
ソウル(麻浦区)
望遠高水敷地は元曉大橋と城山大橋の間の江辺北端に位置しており、麻浦区と隣接しています。 水辺には芝生が造成されており、散策路など憩いの空間として利用できます。また、望遠高水敷地では夏にはプールを始め、ウィンドサーフィン、水上スキーモーターボートなどが楽しめ、冬には雪ソリ場が造られ、たくさんの人々で賑わいます。また、周辺に望遠亭や切頭山聖地などの文化遺跡地もあります。 特に、望遠高水敷地はワールドカップ競技場や仁川国際空港などとつながっており、簡単に訪れることができます。

京畿道国楽堂
 
京畿道(竜仁市)
京畿道国楽堂は京畿道の音を中心に、韓国伝統音楽の発展と京畿道だけの文化的情緒を培うため2004年7月に開館しました。470席(障害者席6席を含む)の公演会場と付帯施設を備え、多様な文化活動を行っています。また、京畿道文化の殿堂の4つの道立芸術団(京畿道立劇団、国楽団、舞踊団、オーケストラ)は定期公演および企画公演と巡回公演などにより、道民と一つになった文化をつくるため努力を続けています。